現在は内陸であるが、干拓が行なはれていなかつた古代では、かなり近辺まで海が入り込み、船の停泊にも適した場所であつたとみられる。 応永年間、備後の坪生荘の八幡宮を十八郷の総社としていたが、争いとなつて、在田郷では分霊して在田神社に八幡宮を併祀したと云う。 当社は現在、笠岡十名山の一つである神之峰の山中に鎮座するが、この地は有田八幡神社が鎮座した地とも。式内社である在田神社のもとの社地は不明。 |
在田神社 在田神社・有田八幡神社の由来 当神社には、在田神社と有田八幡神社が合祠されている。 在田神社の創建は不詳であるが、平安時代の中期(900年頃)の延喜式神名帳に記載されている式内社である。位階は嘉祥4年(851)正六位上、貞観元年(859)従五位下で、備中郷社五の宮である。 在田神社の主祭神は苅田彦命・苅田姫命(坂上苅田麿呂・阿知使主の末裔で鉄鉱及び水銀採掘の犬一族の神)で、併神は宗像神 (国家鎮護と海路安全の神)である。 一方、有田八幡神社の祭神は、応神天皇・ 神功皇后・玉依姫の三神であり、鎌倉時代に陶山藤三義高の勧請により、坪生庄新中八幡神社より氏子十八郷の中十三郷をもって分社したものである。 十三郷とは、有田、押撫、篠坂(備中坪生を除く)、入田、用之江、茂平、大=A吉浜、生之浜、西浜、大河、木之目、西大戸の各村で、寛政5年(1793)建立の大鳥居に「大氏十三ヶ村寄進」と刻まれている。 本殿は、明暦2年(1656)4月に再建したものである。 陶山公民館郷土史研究会 社頭掲示板 |
在田神社 この神社は、国鉄・山陽本線笠岡駅から西北西へ約7Km、国道二号線の川之江交差点からは県道・井原〜福山港線を北へ約1Kmの、笠岡市有田字宮の前2270番地にある。 式内杜の在田神社の所在地については、必ずしも明らかではないが、明治以降、現在地の八幡神社がそれであるとする説が一般的になっている。もと村社。 祭神は、現在は応神天皇(第15代)、神功皇后(応神天皇の生母。第14代仲哀天皇の皇后)、玉依姫命(初代神武天皇の生母。鵜茅草葺不合尊の后)の三柱とされているが、古くは海上神である宗像三神(多岐理姫・多岐津姫・市杵島姫)と記しているものもある。 現在では、この辺り一帯は、内陸というより、山間の小盆地といった趣きであるが、古代にはかなり近辺まで海が入り込み、船の停泊などには適した場所であったといわれる。 社殿は、清友という集落のはずれの小山の頂上に南々西に面して建てられている。本殿は、正面三間・側面二間、流れ造り・本瓦葺きで、棟瓦には竜と天女が舞う図柄の特異な装飾瓦が用いられている。拝殿は、昭和59年(1984)に大改修が行われた。 この神社へ参詣するのに、以前は南側の傾斜のきつい約300mの石段の参道を登るより仕方がなかったが、拝殿の改修を機に、参道登り口の200mほど東寄りから北側を回って上がる道路が付けられ、社殿のすぐそばまで小型車なら行けるようになった。 社頭掲示板 |
八幡神社 本神社の創建は明暦2年4月である。もと、八幡宮と称して、往古から本村の氏神であった。明治4年1月、神社名を八幡神社と改称した。村社列格。 岡山県神社庁 |