神神社
みわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】神神社 備中国 下道郡鎮座

   【現社名】神神社
   【住所】岡山県総社市八代918
       北緯34度39分50秒、東経133度42分10秒
   【祭神】天照大神 大国主神 素盞嗚尊 大山咋命 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后
       (合祀)武甕槌命 經津主命 天児屋根命 比売神 市杵島姫命 湍津姫命 多岐理姫命
       大物主命『式内二十二社明細帳』

   【例祭】5月第1日曜日 春季例大祭 10月第1土・日曜日 秋季例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立の由緒不詳
       天保13年(1842)造営
       17世紀高梁川左岸の地から右岸の八代村に移転
       明治4年村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは高梁川左岸の地に鎮座
        17世紀高梁川左岸の地から右岸の八代村に移転

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「三輪山明神」と称していた
   【社殿】本殿流造
       幣殿・拝殿・社務所・倉庫

   【境内社】荒神社・若宮神社・八王寺宮・きらく天王・牛頭天王・招魂社

神社の背後(西方)には円錐形状の木村山(201m)がある。
神神社の背後の木村山の山上に巨大な岩があり、古くはそこで祭祀が行われていたかもしれない。
17世紀高梁川左岸の地三和村(総社市三輪)から右岸の八代村に移転


由緒

神神社の創建は古代中期と伝えられ、大和国(奈良県桜井市)大神神社に由来しており、また出雲大社系にもそのことが判明している。
発祥の由来については大神神社の御神体である三輪山(禁足地である)に有り、神神社の御鎮座地である通称お宮山も大へんに秀麗な山容であるところから分祀なされた。
その四季折々の風趣は人々の心を和め、小学唱歌「ふるさと」の歌詞そのもののイメージである。古代は山上の磐座で祭祀が行なわれており、現在でもその当時のようすをよく窺い知ることができる。そして古代当地域の開拓と開墾には御祭神の御神徳と御神威の御守護によって成されたことが確証されており申し伝えられている。
御祭神は大物主命。天照大御神。素盞鳴命。大山昨命。応神天皇。仲哀天皇。神功皇后。春日神(四座)であり、文徳天皇嘉祥四年正月に正六位上。清和天皇貞観元年正月には従五位下に称せられている旧社である。その後平安朝醍醐天皇の延喜年間には延喜式が勅撰せられ、神祇官所管に関する規定式第十巻の神明帳には当神神社は式内社として登載せられている。後、明治43年7月一村一社の制により、八幡神社。伊與部神社を合祀した。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




神神社

この神社は、国鉄・伯備線総社駅の西方約5Km、高梁川に架かる総社大橋西詰めからは2Kmほど西方の、総杜市八代字宮山918番地にある。もと村社。
この神社の所布地について、十九世紀中ごろの『備中誌』は、「昔、松山川東へ入りて三和村の方へ流れ、それより古池へ落ちし頃は、今の三和村古川の西に有りて、池田光政公より前は今の三和村に立ち給いしを、其後、此の八代村に還せしとかや言い伝えぬ」と記している。
松山川とは現在の高梁川のことで、三和村とは現・総社市三輪のことである。そして同書は、社名も古くは三輪神杜と書いていたとしている。
祭神は、明治7年(1874)調査の『式内二十二社明細帳』によれば大物主命(饒速日尊の別称)だけであるが、現在では、この他に応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、天照大神、素盞鳴命、春日三神(武甕槌命・経津主命・天児屋根命)、宗像三女神(多紀理姫命・多岐津姫命・市杵島姫命)、彦佐島命を祭るとしている。これは、明治43年(1910)に、近郷の八幡神社、八代神社、伊興部神社を合祀したためである。
社殿は、八代大池のすぐ西の低い丘の上に東面して建てられている。本殿は、一間社流れ造り・銅板葺き(もとは桧皮葺き)である。拝殿に、天保13年(1842)と書かれた棟札があるところから、現在の杜殿は江戸末期の建築になるものとみられている。



神神社

延喜式内社。創建年月日不詳。文徳天皇嘉祥4年正月正六位上。清和天皇貞観元年正月従五位下に敍せられた旧社である。明治43年7月15日村社八幡神社、攝社八代神社、攝社伊與部神社を合祀した。

社頭掲示板



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