鼓神社
つづみじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】鼓神社 備中国 賀夜郡鎮座

   【現社名】鼓神社
   【住所】岡山県岡山市北区上高田3627
       北緯34度46分35秒、東経133度49分39秒
   【祭神】高田媛命 吉備津彦命 樂樂森彦命 吉備武彦命 遣靈彦命
       (合祀)天穗日命 大名持命 太玉命
       武鼓王『神名帳考証』

   【例祭】10月10日 例大祭
   【社格】旧県社 備中国二宮
   【由緒】嘉祥4年(851)正月正六位上
       貞観元年(859)正月従五位下
       元徳年間(1329−31)造営
       永禄年間(1558−70)焼失
       寛永21年(1644)3月8日木下淡路守高二石寄進
       承応2年(1653)造営
       明治14年10月4日県社
       明治40年5月22日神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「五社大明神」と称していた
   【社殿】本殿神明造檜皮葺
       幣殿・拝殿・神饌所・随神門・社務所・鐘楼・神庫

   【境内社】
   【神宮寺】神林寺

祭神は高田姫命は高田村あたりの縣主であつた樂(ササ)々森彦命の女であった。すなわち吉備津彦命の后神である。その出生の地であるによつて此地に齋き祀った。


由緒

一、鎮座地、岡山市上高田3628
一、由緒沿革(神紋舞鶴)当社は人皇第十代崇神天皇の御宇四道将軍大吉備津彦命、御功臣遣霊彦命、この県主楽楽森彦命、同御女にして将軍御后、高田姫命を奉齋せる神徳赫々たる名社であります。主神遣霊彦命は大吉備津彦命の脇將で功に依り大井庄内五ケ所を賜った。後神を崇め社を建て五神を合わせ祀った。延喜の制で小社に列し、祈年の国幣にあずかる。往時は五社殿あって鼓五社大明神と称した。寛永年間領主木下利当社領二石を寄進し祈願所となす。千原寛源勝延祖先の後を襲い木下藩主の命を受け鼓神社神主となり、明治5年神職令改正の時大井以北十九箇所村の祠掌を拝命せらる。同年社格制定の際当国二宮の称号並びに式内十八社中なるに村社に加えられしこと遺憾に堪えず。意を決し、単身上京し県社昇格に夙夜奔走し、神徳顕現、同14年10月4日県社に列格さる。爾後同41年9月、庄田天神社を合祀、社殿を改築、設備充実、境内整備等壮麗なる様相となる。昭和2年神饌所を新築し、県社昇格五十年奉祝祭を盛大に執行す。昭和34年4月神社整備、本社屋根葺替正遷座奉祝祭齋行、昭和49年5月、拝殿屋根補修、神輿二基彩式、神幸用具新調、一千年奉祝祭執行、昭和62年5月拝殿瓦葺替、隋神門、荒神社拝殿屋根葺替、境内地、神池を整備し、鼓神社再建650年祭を盛大に奉祝せり。
一、鼓神社宝塔。当社の境内に一基の宝塔がある。正しくは「正円阿闍梨石塔」と呼ばれる。花崗岩製全高4.15mという稀に見る大きな宝塔で塔身の背面に「大勧進沙門正円、貞和2年10月2日造立之、大工妙阿」と三行に刻んだ銘があるので今から640余年前貞和2年(1345)葦守八幡宮の石鳥居を作った石工妙阿の作である。大勧進沙門正円は、鼓神社境内に建てられた神林寺の高僧で、鼓神社の社僧として神社の維持運営を司った。南北朝相争う頃、兵火に神社、寺は焼失を見、再建の為行脚托鉢、神社を再興、供養塔を寺跡に建立されたものである。建築史の時代区分からすれば鎌倉末期に入るべき名品、昭和34年国指定重要文化財となる。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




皷神社

この神社は、国鉄・吉備線足守駅から北へ約8Km、国道429号線を経て、大井地内から分かれる県道・建部〜大井線を日近川沿いに北上したところの、岡山市上高田3627番地にある。もと県社。古くから、古備津神社に次いで、備中二宮とされている。
社伝によれば、往古は二宮五社大明神とか二宮鼓大明神などと称していたが、数度の火災に会って荒廃してしまったので、別当寺であった真言宗の清水山神林寺の僧・正側が、元徳年中(1329〜31)に再建したとしている。寛永21年(1644)には、この地方の領主・足守藩三代藩主・木下淡路守利房が、この神社を木下家の祈願所と定め、その後は、明治初年まで、毎年大祭のとき、歴代藩主は家臣を参詣させて尊崇したという。
祭神は、高田姫命(吉備津彦命の后。この地方の豪族・楽々森彦命の娘)を主神として、古備津彦命、吉備武彦命、楽々森彦命、遺霊彦命を配祀していたが、明治41年(1908)に天穂日命、翌42年に大名持命と太玉命を合祀した。
社殿は、南面して建てられており、本殿は、一間社、入り母屋造り・妻入り・桧皮葺きである。境内の末社には、荒神杜(祭神・猿田彦命)と若宮杜(祭神・千早彦命)がある。
本殿向かって左奥の山林に、国指定童要文化財の石造宝塔一基がある。総高4.2mという全国屈指の巨塔(花崗岩製)で、刻銘から貞和2年(1346)の造立とされている。

社頭掲示板



皷神社

当社は第10代崇神天皇の御代の四道将軍大吉備津彦命、御功臣遣霊彦命、県主楽楽森彦命、同御娘にして将軍御后の高田姫命を奉齋する神徳赫々たる名社である。
 主神遣霊彦命は大吉備津彦命の脇将で功に依り大井庄内五ケ所を賜った。後に神を崇め社を建て五神を合わせ祀った。延喜の制で小社に列し、祈年の国幣にあずかる。往時は5社殿あって鼓五社大明神と称した。寛永年間領主木下利当社領2石を寄進し祈願所とした。
 千原寛源勝延祖先の後を襲い木下藩主の命を受け鼓神社神主となり、明治5年神職令改正の時大井以北19箇所村の祠掌を拝命する。同年社格制定の際当国二宮の称号並びに式内18社中であるのに村社に加えられ遺憾に堪えなく意を決し、単身上京し県社昇格に昼夜奔走し、神徳顕現、同14年10月4日県社に列格される。爾後同41年9月、庄田天神社を合祀、社殿を改築、設備を充実し、境内整備等を行い壮麗な様相となる。
 昭和2年神饌所を新築し、県社昇格50年奉祝祭を盛大に執行する。昭和34年4月神社整備、本社屋根葺替正遷座奉祝祭齋行、昭和49年5月、拝殿屋根補修、神輿2基彩式、神幸用具新調、一千年奉祝祭執行、昭和62年5月拝殿瓦葺替、隋神門、荒神社拝殿屋根葺替、境内地、神池を整備し、鼓神社再建650年祭を盛大に執行した。
 当社の境内に1基の宝塔がある。花崗岩製の全高1丈3尺8寸(4、15メートル)という稀しく大きな宝塔で塔身の背面に「大勧進沙門正円・貞和2年10月2日(1345)造立之・大工妙阿」とある。建築史の時代区分からすれば、鎌倉末期に入るべき名品。昭和34年国指定重要文化財の指定を受ける。

岡山県神社庁



二宮鼓神社由緒沿革

当社は人皇第十代崇神天皇の御宇、四道将軍大吉備津彦命、御功臣遣霊彦命、此の県主楽楽森彦命、同女にして将軍御后高田姫命を奉祭する神徳赫々たる名社であります。
主神遣霊彦命は大吉備津彦命の脇将で、功に依り大井庄内五ケ所を賜った。
後代、神を崇め社を建て五神を合わせ祀った。 延喜の制で小社に列し、祈年の国幣にあずかる。往時は五社殿あって鼓五社大明神と称した。寛永年間領主木下利当社領二石を寄進し祈願所となす。
千原寛源勝延祖先の後を襲い、木下藩主の命を受け鼓神社神主となり、明治5年社格制定の際、当国二宮の称号と式内十八社中なるに村社に加えられしこと遺憾に思い、単身上京し県社昇格に凪夜奔走し、同14年10月4日県社に列格さる。
爾後同41年9月、庄田天神社、楽々森神社外小社を合祀し、社殿を改築、境内整備等壮麗なる様相となる。
昭和2年神饌所を新築し、県社昇格五十年奉祝祭を盛大に執行す。
昭和34年4月、本殿屋根葺替、正遷座奉祝祭齋行。
同49年5月、拝殿屋根補修、神輿二基彩式、一千年祭執行。
同62年5月、拝殿瓦葺替、隋神門、荒神社拝殿屋根葺替、境内地、神池を整備し、鼓神社再建650年祭を盛大に奉祝せり。
昭和34年より宮山六町面に桧を祈念植樹。同56年完了。
氏子奉仕に依り間伐打続行中。
昭和62年7月神社本殿振興対策 ( 第五期 ) の指定を受け、525000円の補助を交付さる。懸案の大型駐車場周壁も事竟へ。
此の度五ヵ年計画により平成7年修築奉賛会を結成して本殿屋根銅板葺替、随神彫刻、東社務所及び神輿の新築、拝殿大床合天井張替、稲荷神社新築据付、境内地整備等念願の総ての工事完了。
私達、神恩報謝の誠を捧げ、神徳益々輝き神社の護持と敬神の真心を後世に残し、神社の繁栄と氏子崇敬者一同様の家運の御隆昌を祝祷申し上げる次第であります。
二宮鼓神社

社頭掲示板



鼓神社宝塔

国指定重要文化財 鼓神社宝塔                昭和31年6月28日指定
構造形式  石造宝塔、総高は4.1m
所在地    岡山市北区上高田
建立年代  貞和2年 ( 1346 )
材質     花崗岩
特徴     「 貞和二年十月二日 」 の刻銘がある。
鼓神社宝塔は、基壇・基礎・塔身 ( 二部位 )・笠・相輪の六部位の積みげで後世されており、県内屈指の大きさである。
最下部の基壇には、力強い複弁の反花を刻み、基礎には正面格狭間に一対の孔雀、左右の面には異なる意匠の蓮華を刻んでいる。
塔身の正面には、方形の龕 ( がん、窪み ) を穿ち、金剛界大日如来坐像を彫刻しており、左右側面には扉形を作り出している。
塔身上部から笠石の裏にかけては、木造建築をちゅうじつに移した降棟 ( くだりむね )や軒裏の垂木を刻みだしており、笠石上には巨大な相輪を乗せている。 
塔身の裏に銘文が彫ってある。
「 大勧進沙門正円・貞和二年十月二日造立之・大工妙阿 」
なお、大工妙阿は、国指定重要文化財 葦守八幡神社の石鳥居を康安元年 ( 1361 )に造ったことが知られている。
平成22年3月 岡山市教育委員会

社頭掲示板



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