もとは上房郡賀陽町岨谷にあったとする。 岨谷は、古くは野山といい、周囲に野俣川という小川があったという。 明治42年に大和神社(上房郡賀陽町大和宮地字黒田445番地)に合祀された。 |
由緒 旧村社 建久年間(1190年−1198年)の創建と伝えられる。明治43年4月14日大和村大字宮地東ケ市鎮座御前神社、同村大字西字湯原鎮座、同村岨谷字岩山、岩山神社と内無格社31社を合祀して大和神社と改称し、一村一社とした。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
大和神社の爪なし龍 「大和神社の爪なし龍」と言う伝説が有ります。大和神社の拝殿の向拝に爪無龍が吊るされて居ます。名のある名人が彫ったとされ、夜毎、動き出します。昔、旱魃の時、村の者が田圃(たんぼ)の水として八幡池の僅かに溜まった水を分け合っていましたが、水の減り方が思ったより早かったのです。誰かが水を盗んでいると喧嘩(けんか)事になりました。水番を2人置いて見張らせると、お宮の龍が水をガブガブ飲むんでいました。それで宮司に頼み、龍の爪を切ると龍は歩けないようになって夜遊しなくなりました。 「吉備中央町の伝説(1)」 |