この地にあった古郡神社が台風のため破壊し、このため一時、久米村御崎社に合祀されていた。 嘉永4年(1851)に足守藩木下利成の援助で古郡神社が再興された。 その際、久米村御崎社に合祀してあつた古郡神社を、とりもどす形で復興したものである。 岡の頂きに鎮座している。道路からの入り口は非常にわかりにくい。 古郡神社の畑を越えて反対側に『古郡神社々跡』の石碑が建っている。 |
古郡神社 この神社は、国鉄・吉備線服部駅の西方約800mにある宮山と呼ばれる丘陵上の、総社市西山2405番地にある。もと村社。 現在は、丘陵上の畑の中に、ぽつんと小さな社があるだけであるが、平賀元義の『服部郷図考聞書』(『吉備群書集成』第五輯所収)にも宮山・古郡などの地名が載っており、また社のある場所の地形などからみて、式内社の古郡神杜があったのは現在地と考えられる。 この神社は、かつて台風のために倒壊し、現・総社市久米の御崎社に合祀されていたが、嘉永4年(1851)に足守藩木下利成の援助で、御崎社から取りもどすような形で現在地に再興されたようである。この神社が、はたして式内社の古郡神社であったかどうかは分からないが、平賀元義の服部郷図調査時にはすでに存在していたことを伺わせる記述がある。 江戸時代には、現・総社市槙谷にも古郡神社があり、『備陽国誌』『吉備温故秘録』『備中誌』などが式内社との関連性をとり上げている。この神社は、大正二年(一九一三)に、同所の池田神社に合祀された。 祭神は、吉備武彦命(吉備津彦命の異母弟)とされている。 社殿は、明治初年に再建されたが、昭和40年ごろ再び倒壊したとかで、現在は、昭和55年に新調したという、小さな社だけが台地の上に建てられている。 |
古郡神社 延喜式内社であるが、創建年月日不詳。永仁6年の裏書のある服部郷の古図に、宮山が見え、宮山の東には古都の里、宮妹川の名がある。備中風土記に「名宮瀬川、川西者吉備建日子命之宮此三世王故名宮瀬」とある。正長元年の大風に倒壊し、久米村御崎神社に奉遷し、嘉永4年7月西山の旧社地に社殿を造営し、奉遷したと伝えている。 岡山県神社庁 |