宝歴4年(1754)3月に、窪屋那子位庄村の祠官・長山丹後が、「子位庄村祐安の氏神・姫大神が鎮座している宮山の上に、菅生屋敷という小山があるこれが古来の菅生神社の社地であるから、ここに祠を建て、菅生神社として村方の繁昌を祈念したい。」と、岡山藩へ復興を願い出ている。 本殿は向つて左に菅生神社、右に姫大神が並んでいる。 |
菅生神社 この神社は、国鉄・山陽本線倉敷駅から北へ約2Km、倉敷市街地を南方に一望できる小丸山または菅生嶺と呼ばれる丘陵の中腹の、倉敷市祐安1992番地にある。もと村社。 式内社の菅生神社は、少なくとも、江戸時代初期には窪屋郡内のどこにも無かったようである。ところが、宝歴4年(1754)3月に、窪屋那子位庄村の祠官・長山丹後という人が、「子位庄村祐安の氏神・姫大神が鎮座している宮山の上に、菅生屋敷という小山があるこれが古来の菅生神社の社地であるから、ここに祠を建て、菅生神社として村方の繁昌を祈念したい。」と、岡山藩へ復興を願い出ている。(近世の子位庄村は、備前岡山藩領であった。) 岡山藩では、寛文年中(1661〜73)に領内の神社の整理統合を行ういっぽう、由緒ある神社として式内社の復興を進めていたので、菅生神社は、子位庄村の産土神・姫大神と相殿で、このころ復興されたものとみられている。 その後は、この祐安の菅生神杜が式内社跡とされ、今日に至っているが、総社市三輪あるいは都窪郡清音村三因地内に鎮座していたのではないかとの説もある。 社殿は、赤松林の中に南而して建てられており、本殿は、向かって左に菅生神社(祭神・高皇産霊尊月天神様)、右に姫大神(祭神・姫大神)が並ぴ、ともに一旧社で、両社共用の流れ造り.銅板葺き(もとは桧皮葺き。昭和52年=1977に改修したもの)である。 |
菅生神社 当社の創建年代は不詳であるが、古来から三和郷小屋に鎮座しており、三和郷の総鎮守として崇敬された。生坂村内西坂の天神とも呼ばれる。 備中国延喜式内社18社の1社であり、窪屋郡3社の1社である。 元慶2年2月備中国従5位下であった菅生神社に従5位上を授かる。 岡山県神社庁 |