大和国山辺郡に鎭座する大和坐大国魂神社(大和神社)を分祀したものである。その時期について、大和朝廷が淡路を支配する過程で、5世紀とする説(『兵庫県史』第一巻)がある。 中世以降、当社は伊弉諾尊・伊弉册尊の二神を祀るとされてきた。明治の神仏分離後、再び祭神は大和大国魂神と定められた。 |
大和大国魂神社 古より八太の二宮と尊称し皇室を始め世人の崇敬厚く臨時祭及び新年国弊に預かり給い1280余年の星霜を経、移転なき旧社たる事青史に明らかなり、当国伊弉諾神社を以て一の宮とし本社を以て二の宮と称す。 文徳天皇仁寿元年官社に列し、清和天皇貞観元年従一位に叙せられる。醍醐天皇延喜の制に名神大社に列し名神祭及び新年国弊に預かり給い淡路国正税の内800束を祭料に充てられる。文武天皇慶雲元年諸社に下賜うものと伝うる古御印は現在重要文化財に指定せられ今尚当社に所蔵す。 土御門天皇元久2年庁宣により祭料を下され其神を祀り土民群集桜花を賞す世に二の宮の桜祭と称し世人の知るところなり、後当国二の宮と仰がれ公武の崇敬浅からず。 江戸時代蜂須賀候深く当社を信仰し元禄15年社領2反を下賜い代々祈願所と定め深く当社を崇敬し社殿の改築等度々行い寛文10年本殿再興文政12年天保14年諸殿建立。 然る所王政復古御維新以来廃藩置県の制度に改まり其道絶せり 明治6年県社に列し三原郡一円信徒らるを以て郡費を充て明治10年本殿及諸建物悉皆新築し現今に至る 当社は大国主神即ち大己貴神まり其故は大黒の神影を摺て世に弘め配る古板ありて今猶珍伝し近世新に神影を彫刻して用ゆなり 郷土作りの神 医薬ノ神 難病祈封の神 人体五行の神 病気祈願の神様として神霊あらたかなり 一 祭日2月11日 建国祭 2月17日 祈年祭 4月1日 例大祭 7月18日 夏 祭 11月23日 新嘗祭 社頭掲示板 |
大和大国魂神社 創立年代不詳。 文武天皇慶雲元年(704)、諸国印及諸社に銅印を下し賜ひしものを今に存す。現在、県の重要文化財に指定。 文徳天皇仁寿元年(851)、官社に列し、清和天皇貞観元年(859)、従一位勲八等に敍せられ醍、醐天皇延喜の制、名神大社に列し、淡路国正税の内より稲八百束を祭料に充てらる。 後ち、当国二ノ宮と仰がる。 土御門天皇元久2年(1205)、神代八木両郷を以て一二宮ノ法華櫻両会の舞楽料田に充てらる。 又領主蜂須賀家累代当社を信仰し、元禄15年(1702)、社領二反を捧げ、寛文10年(1670)・天明6年(1786)・文化14年(1817)・文政12年(1829)・天保14年(1843)、悉く藩費を以て諸殿の修復造立あり。 明治10年(1877)、三原郡費を以て社殿の改築す。 明治6年(1873)、県社に列せられる。 兵庫県神社庁 |