「笶原神社西宮」と称されている。 鎌倉時代は一社であつたと思はれる。当社が東宮と西宮の二社になつた年代は明かでない。 『八木村誌』によれば、明治6年(1873年)に、東宮が村社に列した際、西宮は東宮に合祀されたともされるが、現在まで両社存続している。 |
笶原神社 創祀年代は不詳。 『淡路国大田文』に「笶原宮一所」と記され、現在は、東西の二社だが、鎌倉時代までは一社であったとされる。 『式内社調査報告』によると、『淡路常磐草』には「東宮明神といふ。西宮に対して云也」、『淡路草』に「野原神社二社あり。小き方(西宮のこと)を正とす。」とあり、西宮を元社とする説が幾つかあるとされる。 『八木村誌』によると、明治6年(1873)に東宮が村社の指定を受けた頃、西宮は東宮に合祀されたとあるが、定かではない。 兵庫県神社庁 |