当社の東方数百mに静御前を祭るといわれる墓所があり、古い宝簾印塔二基が安置されている。 この地は平安時代平家領、新熊野社の荘園であつたが、鎌倉時代源頼朝が、一條中納言能保に嫁している妹に与えた荘園である。その志筑の荘に静御前を住まわせたものであると伝えられている。 |
志築神社 志筑神社由緒記 延喜式の南海道淡路國津名郡九座中の一座(小社)に列し祈年の國幣に預った古社である。志筑天神・手間天神・申の宮とも別稱された。創祀の年代は詳らかでないが、平安朝には平家領神熊野社荘園、鎌倉期には静御前ゆかりの一條中納言家の荘園であった志筑郷の首座の神社として古来から崇敬をあつめてきた。一遍上人繪傳には、鎌倉中期の名僧一遍上人(時宗開祖)が、歿前の正應2年(1289)に當社に参詣したことを記してゐる。祭神「少彦名命」は、大國主命に從って國土經營を果たされた神で、對岸の淡路明神(加太神社)にも同神を祀り、醫藥・技藝守護の神と仰がれる。 鎮座地 兵庫県津名郡津名町志筑字天神907番地 社 格 延喜式内社(小社)、明治6年郷社列格、大正11年兵庫県神饌幣帛供進神社指定。 神 紋 丸に抱き粟穂 神 徳 無病息災・病氣平癒・技藝上達・婦女子守護 境内社 粟島神社 祭神・粟島之神 北野神社 祭神・天満大自在威徳天神(菅原道真公) 祭 禮 5月8日 籾蒔祭(元は太陰暦3月二の申の日) 10月1日 例祭(元は太陰暦8月初の申の日) 氏 子 津名町志筑、中田、王子、池ノ内、大町畑。 一宮町遠田、新村、上河合、竹谷。(計約2000戸) 延喜式とは、延喜年間(901〜23)に撰進された格式で、禁中年中の儀式、百官臨時の作法、諸國の恒式を詳細に記した公家の法制書(五十巻)のこと。當時の官祭神社3132座が収録されてをり、これを式内社といふ。 社頭掲示板 |
志築神社 創立年月不詳。 延喜式内で祈年国幣に預かり、淡路国式内十三社の一つである。 往古より手間天神また俗に申の宮と呼ばれ、志筑七社の首座であった。 明治3年(1870)、徳島藩庁から神仏を分かたれ、同年社領田上地の代償として稟米五石を毎年賜ることになったが、明治4年(1871)廃藩置県、明治6年(1873)、郷社に列せられる。 兵庫県神社庁 |