第30代敏達天皇(527−85)の頃、伊勢国庵芸郡久留真神社を奉遷し建築されたとされる。 現在地はかっては入江だったと言われ、本来はここより西の山の端の大歳遺跡の付近に鎮座とする説もある。 |
由緒 伊勢久留麻神社は遠く伊勢ノ国久留真より勧請せるものと云われ、祭神は大日霊貴尊と称され、敏達天皇の頃(572年〜85年)と云われ、延喜式(927年完成)には、淡路十三社の三番目に明記されている。そのため淡路イザナギ神宮を一の宮とし、この神社は三の宮と云う。 昭和55年2月11日建国の日にNHKテレビが特別番組として「知られざる古代・謎の北緯34度32分を行く」で西のお伊勢さんとして紹介したので俄然全国的にも有名となったものである。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
伊勢久留麻神社 伊勢久留麻神社は別名「久留麻の明神さん」と言いならわされている。 社歴は極めて古く第30代敏達天皇(527〜85)の頃、伊勢国庵芸郡久留真神社を奉遷し建築されたとの通説であるが、延喜式(927年完成)に淡路式内十三社の三番目に記載されている。 いざなぎ神宮を一の宮とし、この神社は淡路の三ノ宮とも言われている。 祭神は大日貴尊、戦前は郷社正三位上の社格を誇り、古くは勅使の参詣もあったとも伝えられる。 毎年5月5日の例祭には、華麗なだんじりが練り歩き、ギャル神輿も登場して伝統の中にも華やかなお祭りです。 太陽の通る道(NHK特別番組、昭和55年2月11日放送)「知られざる古代〜謎の北緯34度32分を行く」で報道されましたが、奈良箸墓古墳を中心に東西に対象をなして「二つの伊勢」があります。一つは東約70Kmの伊勢斎宮跡で、いま一つは西約80Kmの伊勢久留麻神社と北淡町舟木石上神社です。淡路島に「西の伊勢」があったという仮説がクローズアップされています。 社頭掲示板 |
伊勢久留麻神社 伊勢久留麻神社の由来 伊勢久留麻神社は、遠く伊勢ノ国久留真より勧請せるものと言われ祭神は大日貴尊と称され敏達天皇の頃(872〜85)と言われ、延喜式(927年完成)には淡路十三社の三番目に明記されている その為淡路イザナギ神宮を一の宮としこの神社は、三の宮とも言う。 昭和55年2月11日建国の日にNHKテレビが特別番組として、「知られざる古代〜謎の北緯34度32分を行く」で西のお伊勢さんとして紹介したので俄然全国的にも有名になったものである。 社頭石碑 |
伊勢久留麻神社 創祀年代不詳。 社伝によると敏達天皇の御代に、伊勢国奄藝郡久留眞神社を勧請したという。 往古「久留麻」は、来馬とも書かれたが、呉織の意味とも考えられている。 兵庫県神社庁 |