八桙神社
やほこじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】八桙神社 阿波国 那賀郡鎮座

   【現社名】八桙神社
   【住所】徳島県阿南市長生町宮内463
       北緯33度55分13秒、東経134度37分0秒
   【祭神】大己貴命
       八千桙神『神名帳考証』

   【例祭】10月第2金・土曜日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】大宝元年(701)創立
       元慶7年(883)12月28日従五位上
       承平4年(934)紀貫之土佐からの帰途、海上安全を八桙神に祈願
       長寛元年(1163)勅願所となり水田五反を寄進
       寛政5年(1793)氏子は宮内一村に限られる
       明治40年神饌幣帛料供進指定

   【関係氏族】長国造
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「矢峰八幡宮」と称していた
   【社殿】本殿流造
       神饌殿・拝殿・御輿殿・舞台・神馬舎・倉庫

   【境内社】奥山神社・地神社

当神社は「古事記」にまつわる大国主命(オオクニヌシ)を祀った延喜式内社で、藤原期の作品と思われる大己貴命立像及び男神立像など、国・県指定の多くの文化財を所蔵している。特に長寛元年(1163年)の日付が記された二品家政所下文は、徳島県に現存する最古の文書といわれている。周辺には八桙山古墳群があり、かつて八桙神社から津峯山へとつながる参道は桜街道として地域の人々で大いに賑わったと記録されている。別名也保古神社ともいわれている。
『土佐日記』によれば、紀貫之が海賊を避けるため祈願したとされる。
永井精古の『式社略考』には「古は此村悉く神領なりと言ひ傳へたり、今に至るまで糞尿をもて肥とすること叶はず、邑中の林竹を葬具に用ひる事ならず、墳墓を築く事ならず」と記されている。


由緒

1、八桙神社は上古長ノ国造の祖先神として竹原庄要津に鎮座す。長ノ国は北方粟ノ国と相対して阿波民族の源を形成す。
1、承平4年朱雀天皇の御宇歌聖紀貫之土佐守の任満ちて上洛の途上南海水道にさしかかりし時豪勢なる海賊に逢い航行不能となる直ちに那賀川河口に碇泊西潟なる竹原庄の要津に松JU栢城高く聳へ立ち威光海上を圧する八桙大明神に祈願奉幣す。忽ち「霊験早印下之泥」海上無恙上洛せりとあり。
1、長寛元年9月25日関白左大臣左大将正二位藤原基実卿後白河上皇の勅命を承け法華八講料として免租水田五段と紺紙金泥法華経一部八巻合せて五種十二巻を奉納しこの善根に依り後白河上皇二条帝の宝祚を寿命長遠に併せて二品家一門の神徳冥助を乞い並びに南海水道の海上安全を祈願す。
文化財
1、祭神・大己貴命(木造彫刻立像・壱躯)。少名彦命(木造彫刻立像・壱躯)
1、二品家政所下文附紺紙金泥法華経一部八巻
古文書明治43年右神像明治44年国宝指定、昭和25年国宝重要文化財に指定同30年県重要文化財男神木像彫刻九躯その他木桙神像古銭等宝物多数あり。
昭和42年丁未11月八桙神社文化財保存会
(注)文中のJUは、「土」偏に「需」です。  

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




八桙神社

1.八桙神社は上古長ノ国造の祖神として竹原庄粟津に鎮座す。長ノ国は北方粟ノ国と相対して阿波民族の源を形成す。
1.承平4年朱雀天皇の御宇歌聖紀貫之土佐守の任満ちて上京途中南海水道にさしかかりし時豪勢なる海賊に逢い航行不能となる直ちに那賀川河口に碇泊西潟なる竹原庄の要津に松橘柏城高く聳え立ち威光海上を圧する八桙大明神に祈願奉幣す。
すなわち「霊験早印下之泥」海上無恙上洛せりとあり。
1、長寛元年9月25日関白左大臣大将正2位藤原基実郷後白河天皇の勅命を受け法華八講料として免租水田五段と紺紙金泥法華経一部八巻合せて五種十二巻を奉納しこの善根に依り後白河上皇二条帝の宝祚を寿命長遠に併せて二品家一門の神徳冥助を乞い並に南海水道の海上安全を祈願す

社頭掲示板



八桙神社

当神社は「古事記」にまつわる大国主命(おおくにぬし)を祀った延喜式内社で、藤原期の作品と思われる大己貴命立像及び男神立像など国や県指定の多くの文化財を所蔵している古社である。
特に長寛元年(1163年)の日付が記された二品家政所下文は、徳島県に現存する最古の文書といわれている。
周辺には八桙山古墳群がありかつて八桙神社から津峯山へつながる参道は桜街道として地域の人々でにぎわったとされ、別名也保古神社ともいわれて、現在でも子どもの安全息災の神としても信仰を集めている。

阿南市HP



文化財

紙本墨書 二品家政所(にほんけまんどころ)下文(くだしぶみ)附(つけたり)紺紙金泥法華経(ほけきょう) 8巻
 八桙神社(やほこじんじゃ)は延喜式神名帳に挙げられている式内小社で大己貴命(おおなむちのみこと)を祀っているが、祭神である木造大己貴命(重要文化財)、木造男神立像1躯(重要文化財)の他に、3躯の木造男神立像と6躯の木造男神坐像(ともに徳島県指定文化財)など多くの文化財を所有する古社である。
 紺紙金泥法華経8巻は、長寛元年(1163)9月、二品家政所から後白河法皇領であった竹原庄の鎮守八桙神社に寄進されたもので、その由来等を記した「紙本墨書二品家政所下文」は、徳島県に残る文書としては一番古い文書とされている。
 料紙は各紙の色・厚み・加工の度合いが極めて均質で、金泥による写経文も濁りのない金色を放っており、850余年の時を経た今日にあっても鮮やかで安定した状態を保っている。しかし、過去の盗難被害により巻四・五が他巻に比べ顕著に劣化が進行し、金泥の文字が白色化している。また、亀裂・剥落、折れや暴れ等の自然劣化が見られる。2ヵ年計画の修復は、本年度で完了する。

住友財団



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