『阿波志』に、「建比賣祠延喜式亦小祠と為す、曰く荒井下村川瀬崎小烏祠即ち是を云ふ」とある。 阿南市宝田町下荒井に鎮座の正八幡神社の境外末社である。 創建当初から現地付近にあつたとすれば那賀川デルタの末端乃至中洲に立地しているので、度々の洪水で社殿や宝物を失なつたとの伝承がある。 那賀川は明治以降になつても洪水による堤坊決壊に悩んでいる。社地の変遷はあったと思われるが詳細は不明。 近世には「小烏明神」と呼ばれ、明治3年(1870年)、式内社名である建比売神社に改名、その後、現社名に変わった。 |
古烏神社 式内牡 古烏神社の由来 此の社はもと建比売神社と祢していたが多くの歳月を経るに従い社地に古木うっ蒼と茂り静かで奥深く普段樹木に鴉が多く棲息していたので古老等は古烏大神宮と呼んでいたが明治3年神社制度改革にあたり古烏神社と改名された。創建は幾多の災害に罹つた為に其の資料を失い不詳であるが大宝2年(702)と伝えられている。本社は延喜式神名帳に格式古社として登録され御祭神を建比売命と称し竹原郷荒井下村川瀬ヶ崎に鎮座されたとある。 この神は諸説あるが大国主命の娘建比売命下照姫或いは豊葦建姫命と称され社務所に巫女等がいて神事を司っていたと言う。 尚鳥居は式宮の証しとして今も顕示され亦讃岐の白鳥阿波の黒鳥との伝承は往年の神威の一端を示すものである。 平成27年9月吉日 宮司 助石信弘 奉納 岡久照男 〃 大津弘志 社頭石碑 |