集落から離れた川沿いの小社。 |
由緒 創立年代不詳。往古より室比売神社と称し、遠近の崇敬が厚い。永亨元年(1429)の棟札写に、式内室比売神社とある。明治3年阿津神社と改称。『阿波志』に「室比売祠……或は曰く、海部郡相川村室津阿津神是也。相川村に御室祠あり」と。また『阿府志』には「室比売神社、相川村室津と云ふ所に在り。安津明神と号す、吾田鹿葦津姫を祭る。又木花咲耶姫、大山祇等大宣津姫之娘也と。述者按には安の字は室の字の誤りならん、無戸室の字なるべし。今安津明神とは謬れるか。室津は此郷の名地。殊に霊験あらたかに諸人尊敬し、病人痛所等所るに忽ち霊験ありと。今は社も甚微なり」と記す。『大日本史』に「室比売神社、今在海部郡相川村室津称阿津明神者蓋是」。『寛保帳』に「相川村三室大明神、神主細野村、惣太夫(式内室比売神社恐是)」。『神社覈録』に「室は牟呂と訓べし。比売は假字也。祭神明か也。在所慥ならず。当国神社帳。相川村、御室大明神と云うあり。度会清在云、或云開化皇子日子坐王御子室日古王と云うあり。若狭耳別之祖也。此皇子の后にや。かかる例自余にもあり」。『海部郡取調廻在録』に「神社、小名室津、阿津大明神、此社は延喜式神名帳に出たる室比売神社とまふし伝ふ、按に小名室津に御鎮座なればめでたけれ、さて社号の阿字安字も書し事のあるよし、されば室字を誤りて安字を書きしものにあらんか、いつにても式社とまかいるもかるべし、さて御神徳あらたにて都中はさらなり、土洲などよりもおびたゞしく参詣あるよし。……」とある。 最近の学者等は、現代の地形、人口等をもって他社を室比売神社と推定しているが、「阿波志」「式社畧号」「神祇史料」等、当社にあてている説が有力である。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
室比売神社 室比売神社、相川村室津と云ふ所に在り。安津明神と号す、吾田鹿葦津姫(あたかあしづひめ)を祭る。 又木花咲耶姫、大山祇等大宣津姫之娘也と。 述者按には安の字は室の字の誤りならん、無戸室の字なるべし。 今安津明神とは謬れるか。室津は此郷の名地。 殊に霊験あらたかに諸人尊敬し、病人痛所等所るに忽ち霊験ありと。今は社も甚微なり 阿府志 |
阿津大明神 神社、小名室津、阿津大明神、此社は延喜式神名帳に出たる室比売神社とまふし伝ふ、按に小名室津に御鎮座なればめでたけれ、さて社号の阿字安字も書し事のあるよし、されば室字を誤りて安字を書きしものにあらんか、いつにても式社とまかいるもかるべし、 さて御神徳あらたにて都中はさらなり、土洲などよりもおびたゞしく参詣あるよし。 小名 村山、御室大明神、さて室比売神社は安津大明神よりも此社ならん、考ひなおそんじはべる、さて小名の村山のムラムロと通ふなればなり、さすれば室山大明神となり、社号は慥に室字をしけるこそよりところならんか、ここかしこと定めて式社とまふしがたければかくまふしおくものなり 海部郡取調廻在録 |