境内に大木多く、随神門の前には5本の大木が「門杉」を形成している。 太龍寺縁起によれば、天長2年(823年)、空海が遷宮したと伝わる。古くは鷲敷社、中世には和食大明神、蛭子大明神と称した。 |
由緒 御創建時は古く不詳であるが太龍寺縁起によれば「天長2年空海遷宮ス」とあり又延喜式神明帳(約千年前のもの)の和奈佐意富曽神社は当社であるという伝承があることから推して古代から鎮座していたのだろう。古くは鷲敷社、中世には和食大明神、蛭子大明神と号し明治3年よりは蛭子神社と称し明治5年郷社に列せられた。永正2年(1505)細川澄元(管領職を勤めた)が流鏑馬を奉納したのが例となり宝暦年間にはすこぶる盛んであったが現在は例祭中に3頭(馬の幟)の歩射神事が行はれている。 本殿は慶長6年(1601)に改築されたものであり幣殿、拝殿、両脇宮、中門は平成2年御大典記念に改築し内の玉垣は明治4年外の玉垣は昭和3年御大典記念のものである。大楠に自生するボ−ランは自生北限として県より天然記念物に指定されている。 例祭日は10月9、10日 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |