鎮座地は小松島市の北部、日峰連山(別称芝山)の麓の小丘の上にある。 建島女祖命神社はこの地の開拓神として祭られたのであろう。 建島女祖命は埴安姫命の事とされるが、異論もある。 当社が鎮座する中田町には古墳時代前期の古墳群が存在し、当社も古くから鎮座していたと思われる。 滋賀県高島市の波爾布神社(はにふじんじゃ)に伝わる口碑によると、往古より弥都波乃売命を祀っていたが、天平13(741)年に阿波国勝部郡建島女祖命神社より波爾山比売命を勧請したと伝えられている。 合祀の応神天皇(八幡宮)は、もと、多家良村本庄八幡宮に鎮座していた神が、洪水で流れ、江田村において、中田西八幡神社(澤星八幡)として祀られていたが、明治42年に合祀された。 |
建島女祖命神社 建島女祖命神社由緒 祭神は,「タツシマメオヤノミコト」で氏子は「タツシマハン」と呼んでいる。 また、諸誌によると883年従五位上の「埴生女屋神」とあり、「建島女祖命下照姫」を祭るとある。 また、下照姫は「建御名方神の妹」諏訪の神であると言われ、これから「建島」と呼ばれると言われる。姥島神社の歴史は古くからあり、諾説の中で伝えられ今日に至っている。 諸誌の伝えるところによると、建島女祖命神社はこの地の開拓神として祭られたのであろう。建島女祖命を主神とし、応神天皇を合祀された。また「埴安比売命」とし、飛び地開拓の神としている。また「建島埴生女屋神」としている。また、「建島女祖命下照姫」とし、また「沖津比女命」、または女祖神として「伊邪郡美命」を祭るとある。 また、中田西八幡神社を合祀したものとある。(明治42年) 創立年代は不詳であるが、三代実録元慶7年12月28日(883年)に從五位「埴生女屋神」に従五位上を授けるとある。 祭祀は 例祭 10月10日 夏祭 7月10日 建島女祖命神社は、細川家より神地を奇進され、また、その後の藩主の信仰あつく寄進があった。 延喜式小社で、全国で一社である。 社頭掲示板 |