中古大水あって本殿・幣殿並に種々の宝物・古文書に至るまで悉皆流失したという。 又当時字雨ノ宮という田面凡二町歩あって其中央に一大楠樹があり、その下に鎮座し古より諸人此楠に近より枝葉でも折取つたら忽ち神罰に逢うという、又旱天雨を祈れば必ず験があるので俗に雨ノ宮という。 この地は中央の豪族海犬飼氏の領地だったともされる。 |
速雨神社 延喜式内社 ・速雨神社(通称・雨宮神社) 御祭神 ・豊玉比女命 社 格 ・村社 明治8年4月20日列格 由 緒・宇母里比古神社(八多町森時)と共に「延喜式内社−平安時代」に列格された当社は、豊玉比女命を御祭神とし、古代(平安時代)から見られる由緒ある神社である。(築後1100年)近くに式内社が二社あるのは、中央の豪族海犬飼氏の領地であったことが考えられる。すでにこの頃から自生していた楠も、現在では天に届くほどの神木となっている。「阿波志−江戸後期・文化12−1815」に「速雨祠 延喜式亦為小祀在八多村雨宮里水田中金龍寺管之」とあり、水田の中に在って金龍寺が別当寺であったことがわかる。またこの社は通称雨の宮と呼ばれており、往時から雨を願って祈れば願いがかなうほどの霊験があり、海上安全、開運厄除け、縁結び、安産などの御利益がある。 御祭神 ・豊玉比女命 海神・大綿津見神の娘で玉依比女命は妹。豊玉の玉は神霊を意味していて、満ち足りた霊を宿す女で巫女神である山幸彦命(穂穂手見)と結婚し鵜葺草萱不合命をもうけた 延喜式 弘仁式・貞観式の後を承けて、編集された律令の施行細則。平安初期の禁中の年中儀式や制度などの事を漢文で記す。50巻。905年(延喜5)藤原時平・紀長谷雄・三善清行らが勅(天使の命令)を受け、時平の没後、忠平が業を継ぎ、927年に撰進。967年に施行された。巻9・10に見える神名帳には全国の官社(式内社)を列記。阿波でも50座があり、特に大麻比古神社・天日鷲神社(忌部神社)等は社格が高いものとされている。 社頭石碑 |