この一帯は石灰岩塊が露出し、洞穴が穿たれている奇岩怪石の山、つまり山岳信仰の地であった。 『阿府志』に「社中に一怪岩あり、頂面平らかにして凹なり、水溜りて池の如し、俗に御瓶といふ。潮瀧る時に水外に溢る」とある。 祭神は海人系の神と考えられており、山上にありながら潮の干満との関連が示されている。 |
朝立彦神社 旧村社 延喜式内小社。もと護王権現と称したが、明治4年朝立彦神社と改称す。境内に「お亀の池」と称する2尺余の岩穴があり、年中水が涸れない。この地方の祈雨の神として霊験あらたかな社である。「阿波志」には「和多津見豊玉彦命を祭る。飯谷村にあり、俗に権現と云う」とのべ「寛保改神社帳」には「飯谷村護王大権現 別当飯谷村醍醐寺」と記している。 社頭掲示板 |
朝立彦神社 小竹のお甕 朝立彦神社の後方に大盤石がある。その盤石の中に直径40cmくらい、深さ60cmほどの小さな穴があいている。その中には一年中水を湛えているという。その上、潮の満干によって水量が変化することから、応潮泉御甕(おかめ)といわれている。昔から旱ばつの時には■人が御甕に雨乞いの祈りをすると大雨が降るといわれ、人々の信仰が集まっていた。 社頭掲示板 |