宅宮神社
えのみやじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】意富門麻比売神社 阿波国 名方郡鎮座

   【現社名】宅宮神社
   【住所】徳島県徳島市上八万町上中筋558
       北緯34度2分15秒、東経134度30分25秒
   【祭神】大苫辺尊 (配祀)大年大神 稚武彦命
   【例祭】11月3日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創祀年代不詳
       貞観16年(874)従五位下
       天正年中(1573−92)兵火で焼失
       寛保元年(1741)3月稚武彦命を勧請

   【関係氏族】
   【鎮座地】元は現在地の南方約二丁余、山間の堂に鎮座
        天正年中(1573−92)兵火で焼失
        その後神林地としての現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿神明造銅板葺
       拝殿・幣殿・神門・社務所

   【境内社】地神社

延喜式内社の意富門麻比売神社である。中世に至り現在地の神林地に奉斎し、社名を宅宮神社と改称して家宅の祖神とした。大苫辺尊は家宅の神とされているが、『古事記』では伊耶那岐・伊耶那美の神より先に誕生している。神代七代の神の一である。 
旧地は、現在地の南500mの上八万小学校の西南の山腹に鎮座していたという、現在は農地になっている。
「意富(オホ)」は「大(オオ)」を、「門麻(トマ)」は「泊(トマリ)」、つまり港を意味するという。そのため、現在の上八万町にあたる「八萬津」を祀る神であり、昔は「大きな港」があったことを示すともされる。
また「出雲踊」の歌詞に「伊豆毛の国の伯母御の宗女、御年十三ならせます、こくちは壱字とおたしなむ」とあり、これは邪馬台国の女王卑弥呼の宗女「壱与」を示すという説もある。


由緒

当社は、もと意富門麻比売(おおとまひめ)神社として奉称された。国司崇敬の延喜式内神社にして、藩政時代にも蜂須賀公の崇敬篤く、阿波、淡路両国への配札御免宿船渡の御三判を御下付給わり、両国一円に御神符を配札していた。戦国時代に兵火に災い、社殿を消失したが、兵乱鎮まりて後、神林地に再建し、祭神大苫邊尊が家宅の祖神であることから宅宮神社と改称された。
主祭神は天神五代の大苫邊尊であり全国で一座のみ当社に御鎮座され、家屋の守護神として古くより家相、方位、新築、増改築、土地造成、鬼門ぎり等の諸祈願やお祓は広く県内外に知られる。
寛保元年3月、吉田殿の命により稚武彦命を勧請した。
尚、当神社には神代文字による祓詞を彫造した古版木のほか第十四代藩主蜂須賀茂韶公の揮毫による御神名額を今に保存する由緒の古社である。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




宅宮神社

宅宮神社略記
御祭神 大苫邊尊(おほとまべのみこと)
大年大神(おほとしのおほかみ)
雅武彦命(わかたけひこのみこと)
由緒
一、 千数百年以前より意富門麻比売神社と奉称された式内社にして現在地の南方約二丁余(上八万小学校西南)山間の堂と稱されし平坦地に鎮座す
一、 天正年間長曽我部元親阿波国攻入の際兵火により社殿焼失す 兵乱鎮まりて後神林地の現在地に社殿を建立しその時より宅宮大明神として奉斎された日本唯一の家宅の守護神なり
一、 寛保元年3月雅武彦命の御神体を勧請せり
祭典神事
一、 大御神楽祭 旧2月1日
一、 例大祭 11月3日
一、 神踊 8月16日
(徳島市指定重要文化財)

社頭掲示板



宅宮神社

十二社詣りの由来記
御七社
  宅宮神社 徳島市上八万町
  国中神社  〃 一宮町
  一宮神社  〃 一宮町
  天石門別八倉比売神社  〃 国府町矢野
  白鳥神社 名西郡石井町白鳥
  大御和神社 徳島市国府町府中
  八幡神社  〃 国府町井戸
市中五社
  諏訪神社 徳島市南佐古町
  春日神社  〃 眉山町大滝山
  四所神社  〃 福島町
  八幡神社  〃 伊賀町
  金刀比羅神社  〃 勢見町
 十二社は名方郡(旧徳島市、名東、名西郡)の崇敬特に篤き著名の大社にして十二社は天神七代地神五代の数に當り天の七生地の五行年に12月日に十二時又十二支皆おのづからそなはれる数にして萬事成就の形にて此の数によって定め奉つ道程270丁余と古昔此の社に月々参詣すれば諸願成就なると伝えられ諸人盛んに参詣し社頭は殷賑を極めた  瑞勝謹書 奉納 昭和56年辛酉10月吉日
  徳島市八万町千鳥 長谷部一美

社頭掲示板



宅宮神社の神踊り

徳島市の「重要文化財習俗技芸」に指定されている「宅宮神社の神踊り」は、古く平安時代の末頃から始まったと伝えられ、五穀豊穣・悪病退散を祈願して、毎年旧暦7月16日に13地区の氏子(馬組と称す)が輪番で古式豊かに奉納されてきました。現在は、11馬組で奉納日は8月15日となります。

社頭掲示板



宅宮神社

解説
城下町徳島から西南に数Km行つた所に目出たいもやがたなびき社木がうっそうと茂った神苑がありこの神域には二千年このかた三柱の神が鎮められ延喜式神名帳に記載されて広く県内外の崇敬特に篤い式内社である。
澄んだ大空に荘厳な鳥居がそびえたつこの社は阿波国名方郡十二社の第一位に列せられその社名のとおり家宅の祖神をおまつりする日本唯一の家屋の守護神として崇められており氏子は毎年五穀豊穣悪病退除をお祈りして社前で古式豊かに神踊りを奉納している。

社頭掲示板



宅宮神社の神踊り

徳島県指定「無形民俗文化財」
徳島市指定「重要習俗技芸」
宅宮神社は徳島駅から南酉へ7q、園瀬川の清流に広がる田園地帯上八万町の中ほどに鎮座し、古くは「意富門麻比売(おおとまひめ)神社」と称せられて、千年以上も前の延喜式神名帳等には阿波十二社の第一とその名をとどめる由緒ある神社です。また、日本唯一の「家を守る神様」として崇敬が厚く、徳島県内のみならず、日本各地から建築の成就、家内安全、家運繁栄等の諸祈願に多くの人が訪れます。なかでも、家相、方位をよくすることで広く知られています。
徳島県の「無形民俗文化財」徳島市の「重要習俗技芸」に指定されている「宅宮神社の神踊り」は、古く平安時代の末頃から始まったと伝えられ、五穀豊穣・悪病退散を祈願して、毎年旧暦7月16日に13地区の氏子(馬組と称す)が輪番で古式豊かに奉納されてきました。現在は12馬組で奉納日は8月15日に改められています。
この踊りは、境内の中央に神籠(ひもろぎ)または桜花八方乱等を立て、その下に数人の子どもが向かい合って太鼓を打ち踊り子はその外側に円陣を作ります。
そろいの浴衣を着て、美しい手製の笠をかぶり白足袋、草履履きの出で立ちで、手に日の丸の扇を持ち、太鼓と踊り歌に合わせて優雅に踊ります。踊り歌は「御神踊」「桜踊り」「出雲踊」「つばくろ踊り」など12種類があり、いずれも素朴で古の心が忍ばれます。
この踊りは、これまで一度も中断されることがなく、昔のままの姿が今に伝えられているところに特色があり、古式豊かで平和と純朴さがにじみ出ている踊りです。
御神踊り
1 神風や玉吹きおろす神風や
  悪魔を払う伊勢の神風
2 御幣とる手の間の内の神風や
  悪魔を払う伊勢の神風
3 榊葉に木綿紙垂付けて打払えば
  身には穢の霧雲もなし

神社パンフレット



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