長の国の祖神観松彦色止命が初めて佐那県に居住し、山野を墾き巧みに谿水を井比に利用して水田の基を起こし、また、海浜の地に漁業を教えて産業を開発せられた。 成務天皇の朝9世の孫、韓脊足尼が長の国造となり祖神観松彦止命を長峰の中腹(佐那河内村の中峯)に奉祀し祭政一致の実を示された。醍醐天皇の御代延喜の制に国幣小社に列せられた室町時代の末に、戦国の世に御代破壊し、旧跡に形ばかりの小社を建て守護が祭祀を奉化した、天保11年(1840)5月に、社殿の改築が行われ、明治初期の公文書に社名が見え、絵図もある。 御間都比古神社は、一時期荒廃し、徳島ではその所在地さえも不明となっていたが、大正9年の宮内省諸陵寮考証官の実地調査により当所であることが確認されたものである。 昭和9年に現在の社殿が建てられた。 |
御間都比古神社 御間都比古祠延喜式亦小祠と為す。中辺村にあり、今中峰また三木松と称す。 即ち観松彦色止命、蓋(けだ)し、遠孫韓脊宿弥之を祀る也 阿波志 |