大御和神社
おおみわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大御和神社 阿波国 名方郡鎮座

   【現社名】大御和神社
   【住所】徳島県徳島市国府町府中644
       北緯34度4分11秒、東経134度28分47秒
   【祭神】大己貴神 (合祀)大山咋神
   【例祭】10月19日 例祭
   【社格】旧県社 阿波國総社
   【由緒】由緒不詳
       明治5年郷社
       昭和11年県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「印鑰大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・幣殿・神饒所・神輿庫・社務所

   【境内社】江ノ島神社・若宮神社・稲荷神社・秋葉・蛭子・瑜伽神社
        野・八坂神社・秋葉・八坂神社・愛宕・稲荷神社


往古は印鑰(いんやく)大明神と称し、阿波国総社であったとも言われ、一般に「府中宮(こうのみや)」と呼ばれる。
印鑰とは、阿波国の印と国庫の鍵を意味する言葉。
この地は山と川の間の地で且つ沃野廣く、ために国衛が置かれた。南に国分寺、西に国分尼寺があり、古代政治の中心であり、社は恐らく国司が大和の大三輪神社の分霊を祀つたのであろう。
大御和神社はもともとは土成町の「奇玉(くすたま)神社(薬王子神社)」から移されたとの説がある。


大御和神社

大御和神社 略記
祭神 大己貴命(大国主命)
由緒
延喜式内小社で府中の宮と親しまれている。
王朝時代国司政庁が此の地におかれ阿波国古代の祭政の中枢となったが、その国府の鎮守として、国分寺と共に、累代国司の崇敬が厚かった社である。
本社は国璽の印及び国庫の鑰を守護せられし神徳により印鑰大明神と称したと伝えられる。「印鑰」即ち国司の宝印と諸司の蔵のかぎが紛失せぬように祈り、又神社の中に保管したという。明治3年大御和神社と奉称し、同5年郷社に列せられ昭和11年県社に昇格した。

社頭掲示板



大御和神社

延喜式内社
旧県社 大御和神社
祭神 大己貴命
(大国主神・大物主神・大黒様)
祈年祭
太々神楽祭 5月1日
大祓祭 7月31日
例祭 10月19日
由緒
延喜式内小社で府中の宮と親しまれている。
王朝時代国司政庁が此の地におかれ阿波国古代の祭政の中枢となったが、その国府の鎮守として、国分寺と共に、累代国司の崇敬が厚かった社である。
創立の事情はよくわからないが、おそらくは国司が大和の大神神社の分霊を祀ったものであろう。
本社はまた国璽の印及び国庫の鑰を守護せられし神徳により印鑰大明神と称したと伝えられる。

社頭掲示板



大御和神社

大御和神社由緒
祭神  大己貴命
大己貴命は須佐之男命の神孫にして神代の昔少彦名命と共に我国土の開発経営に努め給い産業の発達を計られた  開拓の祖神として尊奉り又天孫由緒記は(中略)
当社の創立は最古にして之を詳とする語は■らも人皇第42代文武天皇大宝2年当国国司より国霊の印及国庫の鑰を献納せられしに因り爾後印鑰大明神と奉称され累代国司の崇敬厚く神地神領等の寄進あり社頭の隆昌と祭儀の丁重を極められた。又醍醐天皇の延喜5年勅命を以て全国著名な古社を選び延喜式神名帳を作らしめ給うに際し当社は右神名帳に登録されたる即ち式内神社たり。明治3年社名を■称して大御和神社と称し奉り、明治5年郷社に列格され昭和11年県社に昇格せらる。

社頭掲示板



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