「阿波志」に「雨降祠 新居南村にあり 前に池あり 雨乞すれば必ず応ず」とある。 境内東北の隅に、約20坪の瑞垣にかこまれた聖域がある。地面が深く堀られていて、嘗ては池であつた。これを人々は「お池」と呼んで信仰した。 |
雨降神社 延喜式内小社。上古では和多都美豊玉比売神社と称したが、近世では雨降大明神と称した。 明治3年雨降神社に改称。同8年村社となる。 天明2年(1782年)に編纂された『阿府志』には「和多都美豊玉比売神社南新居村ニアリ 俗ニ雨降ノ宮ト云 是神社ニ村民雨ヲ祈ルコトアレバ 前池ヨリ小蛇出テ木ニノボル 果シテ雨降ルト云 上古者座並祈年国幣アツカリ玉フ 今ハ微ナリ 日本三代実録日 陽成天皇元慶7年(883年)12月2日甲午授阿波国従五位下和多都美豊玉比売神従五位上」とある。 公式HP |
雨降神社改築記念碑 雨降神社旧社殿は、昭和15年皇紀2600年の奉祝記念事業として改築造営されたが、当時は支那事変の長期化とそれに伴う物資不足や民生の窮乏のためか、社殿の新築といえども古木を買い求めて建てたものであり、その痛みは早く、また年々酷くなるばかりで、修繕に継ぐ修繕を重ねたものの、遂に平成23年9月21日の台風15号の暴風雨により、僅か70年余で拝殿の大屋根が崩落するに至った。 以来、東の八幡神社に御霊を仮遷座し、神社総代氏子有志により雨降神社改築奉賛会を結成し、社殿再建の募金活動に奔走すること4年余りの星霜を経て、漸くも堅牢・斬新なる平成の社殿が完成した。 茲に関係各位のご協力とご奉賛に衷心より御礼を申し上げると共に、是をもって、神威の発揚に更につとめ、不動地区の発展と氏子崇敬者各位の弥栄と安寧を心より祈念するものである。 平成27年12月吉日 雨降神社改築奉賛会 社頭石碑 |