四国霊場十三番札所である大日寺と道路を挟んで鎮座している。 元々は上一宮大粟神社(名西郡神山町)が阿波国一宮であったが、参拝に不便であるため平安時代後期に国府の近くに分祠が作られ、こちらが一宮となったと伝えられる。 |
由緒 一宮神社略記 一、大宜都比売命 御別名 天石門別八倉比売命を奉祀する 衣食 農業 商業 開運の神で 又縁結び 安産の守護神と信仰する人が多い。 一、延喜式内大社天石門別八倉比売神社に充てられる古社で一宮大明神と奉称せられ 阿波国一宮 八倉比売命を祀るから明治維新まで8月8日が御祭礼日 神仏分離まで四国巡拝の霊場であった。 一、小笠原氏は 一宮城を構え 大宮司に任じ 蜂須賀侯も社殿を造営し 御初穂 御神馬を奉献 篤く崇敬した 氏子の尊崇は今に変らない。 一、一宮町の地名 一宮城の称等は 一宮大明神が千年の昔から此所に御鎮座ましますに由来すると思う。 一、春祭4月2日 秋祭10月18日 新嘗祭12月18日 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
一宮神社 重要文化財建造物 一宮神社本殿(附棟札9枚) 平成5年4月20日国指定 この本殿は,身舎の正面柱間が三間で、屋根が後方に短く前方に長く曲線形に流れる『三間社流造』である。棟前方に干鳥破風を飾り、さらに先端の中央一間分に軒唐破風を設け、木階前方の庇柱まで浜床を張り出す。また各所に上品な彫刻が埋められ、全体に彩色を施しながらも過度の装飾には陥らずに、華やかな本殿に仕上げている。向拝の木鼻や身舎妻飾りの大瓶束下部には蓮華が。繋海老虹梁や向拝頭貫虹梁の底面には錫杖が彫られるなど。神仏混淆の様相を表している。 棟札と正面千鳥破風板の墨書から、寛永7年(1630)の建築であることが判明している。同じ三間社流造で重要文化財である鳴門市大麻町の宇志比古神社本殿〔桃山時代・慶長4年(1599)〕とともに、徳島県の近世初期を代表する装飾的な大型本殿建築である。 徳島県教育委員会徳島市教育委員会 社頭掲示板 |