上一宮大粟神社
かみいちのみやおおあわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】天石門別八倉比売神社(大 月次/新甞) 阿波国 名方郡鎮座

   【現社名】上一宮大粟神社
   【住所】徳島県名西郡神山町神領字西上角330
       北緯33度58分15秒  東経134度22分1秒
   【祭神】大宜都比売命
   【例祭】10月9日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】神亀5年(728)聖武天皇の勅願所となる
       元慶7年(884)12月8日従五位下
       元暦2年(1185)正一位
       明治3年埴土女屋神社と改称
       明治28年現社号に定められ郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録は無い

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「上一宮大明神」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所・倉庫・手水舎

   【境内社】

社伝によれば、大宜都比売神が伊勢国丹生の郷(現 三重県多気郡多気町丹生)から馬に乗って阿波国に来て、この地に粟を広めたという。



由緒

通称「大阿波さん」。祭神大宜都比売神は伊邪那岐、伊邪那美二神の子で五穀を司どる神。粟国(阿波)を別名大宜都比売と言う。この神が、伊勢国丹生の郷より神馬に乗り八柱の供神を率いて阿波国に移られ国土を経営し、粟を蒔き、この地一帯にひろめられたという。又の名を大粟比売神あるいは八倉比売命と申しあげる。大粟山は名西山分の諸山を総称して言い、その各村を大粟谷、粟郷とも言う。既ち一国開闢の祖神の本拠地にして、大宜都比売命は粟の凡直の遠祖であり、その神裔が世襲で祭祀せしが、のち小笠原氏が一宮大宮司として奉仕した。一宮と言うのは祭神が粟国の開祖で格式高い社だからとか、式神名帳にのせられている名方郡でただ一つの大社(八倉比売神社)だからとも言われる。承久3年(1221)阿波の守護に任ぜられた小笠原長清の子孫長宗が名西郡上山に攻め入り代々奉仕してきた粟飯原家を滅ぼして大宮司と称し、姓を一宮と改めた。その子孫が相次いで一宮大宮司と称し、武将と祭官を兼ねていたが、その後当社の分霊を一宮城内に祀ったのが下一宮であり、一宮成行の代になり城主と祭官を分け、下一宮を城主領として長男の成良に、上一宮は神領分(神領村の名のおこり)として次男成直にこれを祭らせた。のち一宮の呼称が下に移ったのは一宮氏の居城と神社が同所にあったから一般化したのであろう。藩政時代蜂須賀家政は供田及薪山として左右一町八段歩を寄進、代々藩主祭資を納め神馬を寄進する等崇敬厚買った。明治3年神社改正の際社号を埴土女屋神社(式外の古社)と称したが同28年現社号に定められ郷社に昇格した。なお社号は一宮明神、田ノ口大明神(平安初期の国司田ノ口息継の一族が祖神として当社を崇敬した)、上一宮大明神、大粟上一宮大明神などがある。『三代実録』は、埴土女屋神社に「元慶7年(884)12月8日従五位下を授く」と記している。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




上一宮大粟神社

御縁起
鎮座地 名西郡神山町神領字西上角330
おおげつひめのみこと 又の御名
御祭神 大宜都比売命 天石門別八倉比売命
大粟比売命
御例祭 歳旦祭(1月1日)
例大祭(1月10日) 祈年祭(4月11日)
新嘗祭(12月11日)
一、 古事記によると大宜都比売命は粟国(阿波)を開かれた祖神で五穀 養蚕の神として古代から農耕を守り生命の糧を恵み続けられています
一、 神亀5年(728)聖武天皇御勅願所となり 元暦2年(1185)御祭神に 位階正一位を給い 以来正一宮大明神として広く崇敬されてきました
一、 旧事記によると当社の古代祭官は応神天皇の御代に千波足尼が国造 を拝命し以後三十四世にわたって祭事を司りましたが時の祭官一宮宗成 に代って歴応4年(1341)阿波守護の小笠原長宗が祭官となり後に一宮 大宮司となり その子成宗の代に一宮町に当社の分霊を勧請して一宮 神社を創建しました 蜂須賀家政は当社に二度も参拝し 代々の 藩主も深く尊崇していました
一、 今に残る江戸時代の十四枚の棟札(最古寛文13年)からも社名が 一宮明神 田ノ口大明神 大粟上一宮大明神 上一宮大明神などと 変った事がわかります 明治3年(1870)埴生女屋神社と改めら れたが 明治28年(1895)氏子の請願によって現在の上一宮大 粟神社に確定されました
撰 宮司 阿部千二
氏子会
大粟山保勝会
邪馬台国と大宜都比売命
全国的に話題を呼んでいる邪馬台国阿波説の論拠として 日本 最古の書 古事記と魏志倭人伝の記述が一致する根元に 阿波は食物 五穀を司る穀霊(おおげつひめ)の国であり 高天原(神話)の物語は すべて阿波(おおげつひめ)が舞台となっている 古代国家にとって最も 重要な食物を司る穀霊が阿波の別名であるところにその論拠があり 近年古代研究者が注目し その調査研究に訪れる所以であります
    昭和59年9月吉日
発起
協賛 古代神山研究会
神山町
神山町観光協会
大宜都会

社頭掲示板



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