河岸段丘の上に鎮座する小社。 『美馬町史』によれば、江戸時代中期ごろか、坊僧より移り住んだ佐藤家の祖先が氏神として讃岐国滝ノ宮より分霊、勧請したのが起源ともいう。 |
八坂神社 「美馬」の地名が「ミツハ」「ミヌマ」に由来するものであるならば、美馬郡の中心地、郡里近辺を想定すべきであると考える。論社のなかでも有力な候補である美馬町滝宮の八坂神社は隆起扇状地の南端にあって、そこは北に郡里城跡をひかえ、西は三頭越えの古道を見おろす位置にある。南麓部に鎌倉時代の経塚があり、銅製・陶製の経筒計四つ、青磁合子、和鏡などが出土している。その南の中山路に美馬郡衙跡があり、近くに立光廃寺跡がある。東に小字名「駅」があり、古代の美馬駅の所在地とされている。その東に段の塚穴古墳がある。さらに、その東一キロの所に式内社天津賀佐比古神社があり、風の神を祭るといわれている。大和国の龍田大社と広瀬神社との関係からみて、風神と水神が一つのセットとして考えられていたとするならば、その点からも、当地は弥都波能売神の鎮座地としてふさわしいことになる。 日本の神々 神社と聖地 2 |