『三好郡誌』は古老の話として。 @往古は社地広大で今宮内といつている地域はすべて境内であつた。 A現在の社地より南一町程の水田中に二つの大きな鳥居の沓石が東西に並んでいた。 Bその付近の田地を鳥居といひ、その南を修理免という。その他付近には京田、散米田等の地称が存在する。 C文政の末頃、今の社地本殿の西の処を掘均らして平坦にした時に厚い布目瓦が沢山出土した。 Eかつて境内には松の大樹、樫や奈伎の古木が沢山あつたが、枯死したり、社殿の修理用として伐採した。 当地から東80-110メートルに弥生時代から古墳時代にかけての京伝遺跡がある。当社の西南、近くには弥生時代前期末の遺跡として知られた大柿遺跡がある。 |