伊射奈美神社
いざなみじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊射奈美神社 阿波国 美馬郡鎮座

   【現社名】伊射奈美神社
   【住所】徳島県美馬市穴吹町三島舞中島 52
       北緯34度3分21秒、東経134度9分6秒
   【祭神】伊射奈美命 武甕槌命 経津主命 猿田彦命
   【例祭】4月22日 夏季大祭 不定期 秋季例大祭
   【社格】
   【由緒】延暦7年(788)に国司の奉幣
       貞観年間(859〜877)の創建という
       貞観11年(869)3月従五位下
       応永3年(1396)造営
       天正10年(1582)洪水で週出
       文禄3年(1594)造営
       明治12年(1879)十二所神社と改称
       昭和に伊射奈美神社と改称

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「十二所大権現」と称していた
   【社殿】本殿流造
       幣殿・拝殿

   【境内社】

幕藩時代に十二社大権現と称し明治12年(1879)に十二所神社と称したが昭和になって伊射奈美神社と改めた


伊射奈美神社

祭 神
伊射奈美命 武甕槌命 経津主命 猿田彦命
明治43年(1910)に舞中島の武田神社 若宮神社 横野神社 大柳神社 稲荷神社 建神社を合祀した
由緒沿革
延暦7年(788)に国司の奉幣があったと伝えられている(以上徳島県神社誌)
当神社は岡本監輔著「名神序頌」によれば貞観中(859〜877)に創建されたと記されまた三大実録に貞観10年(868)3月12日阿波国正六位伊奘再神に従五位下を授くと載すとある
延長5年(927)式内伊射奈美神社に比定された
幕藩時代に十二社大権現と称し明治12年(1879)に十二所神社と称したが昭和になって伊射奈美神社と改めた
応永3年(1396)、天文元年(1532)など棟札が収蔵されており応永三年の棟札は穴吹町最古の棟札である
なお尾山十二所神社は当社の奥社である(穴吹町誌)

社頭石碑



伊射奈美神社

伊射奈美神社拝殿・並殿新築碑
祭 神
伊射奈美命 武甕槌命 経津主命 猿田彦命
明治43年(1910)に舞中島の武田神社 若宮神社 横野神社 大柳神社 稲荷神社 建神社を合祀した
由緒沿革
延暦7年(788)に国司の奉幣があったと伝えられている(以上徳島県神社誌)
当神社は岡本監輔著「名神序頌」によれば貞観中(859〜77)に創建されたと記されまた三大実録に貞観10年(868)3月12日阿波国正六位伊奘再神に従五位下を授くと載すとある
延長5年(927)式内伊射奈美神社に比定された
幕藩時代に十二社大権現と称し明治12年(1879)に十二所神社と称したが昭和になって伊射奈美神社と改めた
応永3年(1396)、天文元年(1532)など棟札が収蔵されており応永3年の棟札は穴吹町最古の棟札である
なお尾山十二所神社は当社の奥社である(穴吹町誌)
今回社殿・並殿老巧化が激しく氏子約210戸のご理解をいただき浄財3300万円余が寄せられて拝殿・並殿を新築竣工した。
平成15年4月吉日

社頭石碑



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