高越神社
こうつじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊射奈美神社 阿波国 美馬郡鎮座

   【現社名】高越神社
   【住所】徳島県吉野川市山川町木綿麻山4
       北緯34度1分8秒、東経134度11分50秒
   【祭神】天日鷲命
       (配祀)天御中主神 伊弉諾命 伊弉册命 天照皇大神 安閑天皇
       国常立神 高皇産神 神皇産神 三十八社神 瓊瓊杵神 天兒屋根神
       齋主神 武雷神 大山祇神

   【例祭】3月15日 春祭り 9月24日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       延暦20年(801)弘法大師がこの山で修行
       貞観11年(869)3月従五位下
       明治20年7月川田の八幡神社に合祀
       明治35年再び分離独立
       大正15年3月15日造替

   【関係氏族】忌部氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「高越大権現」と称していた
   【社殿】本殿流造
       幣殿・拝殿・社務所

   【境内社】

高越山(1122m)の山頂に鎮座する。
神武帝のとき天富命は天日鷲命の裔孫を率いて肥饒の地を求めて当国に來り、今の麻植.美馬・三好等の諸郡を開拓し、楮麻の種をまき、並に荒妙を作り朝廷に貢進、なお歴朝の大嘗祭に奉供するを例とした。よつてその祖神をこの山に祭り、郷民崇敬して今日に至れりという。
山岳仏教が盛んであつたころ、弘法大師が高越山で秘法修行したとも伝えられ、明治の神仏分離まで高越寺と同体で高越権現と称されていた。
古来この山に祀られてきた式内社伊射奈美神社が修験道の発達とともに、だんだん藏王権現にとつて変わられたと思われる。
山頂 (弘法大師像 経塚跡)より200mほど北側へ下ると、「奥の院」があり 、伊邪那美命の神稜ではないかと考えられている。


高越神社

【祭神】天日鷲命
【由緒】神武帝の時天富命は天日鷲命の裔孫を率いて肥饒の地を求めて当国へ来たり今の麻植・美馬・三好等の諸郡を開拓し楮麻の種をまき、並びに荒妙を作り朝廷に、貢進、なお歴朝の大嘗祭に奉供するのを例とした。よってその祖神をこの山に祭り、郷民崇敬して今日に至った。

社頭掲示板



高越神社

霊峰高越山は海抜1122m
大古より山伏の修練の道場として1300年の昔役之行者小角が開基して本尊蔵王権現脇仏千手観音を祀り以来吉野川に沿いて住む住民はオコーツアンと仰ぎ弘法大師若き頃登り修行の遺跡あり 又天下の武将は向一倍の力を授かるとの信仰があり国守の祈祷所として又庶民の信仰をあつめ今日まで法燈が続いている

社頭掲示板



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