西照神社
にしてるじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】田寸神社 阿波国 美馬郡鎮座

   【現社名】西照神社
   【住所】徳島県美馬市脇町西大谷672
       北緯34度7分22秒  東経134度7分41秒
   【祭神】月読命 (配祀)市杵島姫命 田寸津比売命 田心比売命
   【例祭】11月3日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】由緒不詳
       明治6年郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録は無い

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代には「西照大権現」と称した
   【公式HP】 西照神社
   【社殿】本殿
       拝殿・神楽殿・社務所・倉庫・手水舎

   【境内社】稲荷神社・熊野神社・八大龍王神社・祖霊社

大滝山(標高946m)の山頂に頓挫する。


由緒

当社は、徳島県美馬郡脇町字西赤谷に鎮座しており、月読命市杵島姫命田寸津比売命田心比売命をお祀している。
式内社田寸神社に擬せられる社。中古より「西照権現」と称したが明治初年に西照神社と改められた。明治6年(1873)に郷社となった。
藩政時代に稲田家の崇敬厚く、高九八斗を寄進せられ、また高松藩松平家の御名付け所として崇敬せられ、五十石を寄進されたと伝えられる。
「日本一社西照神社大滝山本宮」と称し、毎年春、秋二回、厄除際を執行する。なお、この地には、真言宗大滝寺があり、弘法大師が登ったと信じられている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




西照神社

祭神 月読尊
   宗像三女神(田寸津姫命・田心姫命・市杵島姫命)
大滝山阿讃国境に位し標高946m七尾七谷の源をなす嶺峰にして古代「大嶽山」と称せられる。
由緒、古伝の存す所を案ずるに上代神世の昔、伊邪那岐尊、高御産巣日神の詔を以ちて、筑紫の日向の橘の小戸の阿波峡原に降り禊祓まして心身清浄なる身を以って山川草木各々の主管者を任命し終りに天照大神を高天原へ。祖国並に大八州国を統治し次に月読尊は夜の食国(築紫の国即ち九州全域尚湯の出る国即ち四国の嶋)を統括し東大和紀伊の動向を看視せよと委任し給ふ。
そこで月読尊は航海の神、田寸津姫命即ち宗像の三神の部族を率いて伊豫から阿波の国に移り大嶽山の頂、展望のきく所に櫓を設け瀬戸内海難波及び大和の動向を監視せしめ、天津神の詔を体し九州四国を統括し、蒼生人の九厄十悪を祓ひ退け、夜毎に白露をふらし、五穀草木を潤し海上安全を守護されしと降って、平安朝の初期桓武天皇の御代僧空海24才の項三教指針(神道濡教佛教)の一佛教を選び厳修体得せんと大嶽山に登り、北面の崖の中腹に山篭すること三年。教理に初光を見出し、続いて土佐の国室戸に至って三年余を径て都に赴く。偶に遺唐使の渡航舟団に加はるに及んで、大嶽山の航海の神に安全を祈願して出航す。
途中台風に遭ひ遣唐使の三隻は行衛不明になるも空海は遥か南方唐の赤岸鎮に漂着。陸路都長安に至り、青竜寺恵果和尚に教を乞ふ。和尚之れを優遇し密教の奥義を伝授。さる帰国に及んで大嶽山の三神に厚く感謝せし。後門弟をして別当寺を建て奉仕せしむ。続いて本地垂跡の説を唱え布教に之れ努め社号に権現号を贈り、西照大権現と改称し、神祇官に代り祭祇を司り明治6年に至る。
中世稲田氏国守となるに及び崇敬社として山麗の九石八斗の村落を寄進し、緒役を定住させ奉仕せしむ。明治6年、神佛習合分離の大政官布告に基き、社格郷社「西照神社」と旧に服し、神官をして祭祇することとなり今日に至る。
宮司 都築晟 撰 佐々木雅行

由緒書



西照神社

当大滝山は阿讃の国境海抜945mの高陵七尾七谷を有する全国稀なる霊地なるにより神代時代より神の発祥地として有名なり仰も鎮護の西照神社の祭神は天照大神の御弟月読尊にましましてこの大神の御功は天祖の大神の勅を以て大海のはらまた夜見の国を主宰り蒼生人の九厄十厄をやらい退け夜に白露をふらし五殺草木を瀾し海上安全を守護し神威厳なれば古来より登山参拝者今にたえず山号も中古の頃まで田寸山と唱へ社名田寸山神社と称し延喜式神名帳による日本国内3132社阿波国50社の内の神社なりしが幕政時代の変革により各神社は各々寺院或は別当の専有奉士となり山号を大滝獄と改め社名を西照権現と改称され明治維新に至り同3年大宰官布告により神社混合分離の政令によりて同6年社名を西照神社、社格は郷社に列せられ日本壱社崇敬社となりたし然して中昔藩政時代阿洲猪ノ尻の城主稲田家信仰篤く現脇町字大谷奥部落を当社の地領として石高九石八斗余を寄附せられまた讃洲高松の藩主松平家の祈願所なるにより営繕費として石高五十石を寄附されたりなお委しきは爰に記行にいとまあらず神恩を見て尊信存仰と云々。

社頭掲示板



西照神社

神代時代より神の発祥地として有名な厄除総本宮
当神社は、四国阿讃山脈・大滝山(946m)の頂上に祀られたいにしえの秀真伝、月夜見大神の古社でございます。
静寂で神聖な境内には、神秘の神々がお祀りされております。
まず伊耶那岐、 伊耶那美さまがいらっしゃいます。
そこからは夫婦神から生まれ出る生命を感じることができるでしょう。
五穀豊穣、宇迦之御魂神さまがその生命の衣食住をお守りくださり、道主貴(みちぬしのむち)と尊称される宗像三女神さまが人生の道に迷わぬよう導いてくださいます。
そして八大龍王は神々の使いとして人々の諸願成就をお助けいたします。
神社のご祭神である月夜見大神さまはその名の如く、月を神格化された神様でもあり、人をお救いになるために鎮座されたと言われる、慈愛に満ちた強い浄化のお力を発揮される神様であられます。
月は生命の誕生においてなくてはならない存在です。
この地球上の生きとし生けるもの全ての生命は月から始まっていると言っても過言ではないでしょう。
また宇宙の創生、生命、すべての根源とされる天之御中主神も宇宙大神としてご光臨され命の根源、愛、エネルギー、道しるべ、私たち人間にとって必要で重要な神々が鎮座されている、それが「大滝山 月神の宮 西照神社」なのです。

公式HP



西照神社

由緒:式内社田寸神社に擬せられる社。 中古より「西照権現」と称したが明治初年に西照神社と改められた。 明治六年(1873)に郷社となった。藩政時代に稲田家の崇敬厚く、高九石八斗を寄進せられ、また高松藩松平家の御名付け所として崇敬せられ、五十石を寄進されたと伝えられる。「日本一社西照神社大滝山本宮」と称し、毎年春、秋二回、厄除祭を執行する。なお、この地には、真言宗大滝寺があり、弘法大師が登ったと信じられている。

徳島県神社誌



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