貞観2年(860)以前に、京都賀茂別雷神社を勧請した神社であると伝えられている。 三津郷の地四二町余が後に福田荘となり、賀茂別雷神社領として伝領された、この三津郷の地と賀茂別雷神社の関係を考慮すると、少なくとも寛治の頃より以降は鴨神社と京都賀茂別雷神社の密接な関係を想定することは可能である。 鎮座は現在の宮司「白川」氏の祖、白河氏らとともに、6世紀ごろと思われる。 京都、上賀茂神社の創立が、天武天皇7年(678年)と伝えられているので、「鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。」を信じれば勧請した時より創立が古いとなり、「鴨神社」「下加茂神社」が京都「上賀茂神社」「下鴨神社」の元宮ではなかったかとの説がある。 |
鴨神社 御祭神 別雷神 市杵島姫命 品陀和気命 天照皇大神 当社は延喜式内社にて鎮座の年代は不詳なれど貞観庚辰2年以前の創建にして京都上賀茂神社の勧請所である 爾来壹1140年余福田庄(旧加茂村)の平和と五穀豊穣を守護し氏子の尊崇を聚め今日に至る 旧阿波藩主蜂須賀家は特に厚く崇敬せられ天正年間より維新初年まで毎年雷除・武運長久の祈願を奉呈した 社頭掲示板 |
鴨神社 創立年代不詳、山城国下鴨神を遷祀せしものと伝える。 明治5年郷社となる「阿波志」に「加茂祠鴨宮に在り」と記し「寛保改神社帳」には「加茂野宮村賀茂大明神禰宜加茂宮村佐藤遠江」とある。 鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。 徳島県神社誌 |