この地は律令時代阿波郡の郡衙のおかれたところとされている。 『阿波郡誌』の伝える由緒には、文安年間に領主原田大和守が荒廃を嘆いて社殿を修復、鏡一面を献したこと、のち兵火にかかり森林中の小祠となっていたが、天正14年に太守家政が国内巡検したとき、どんな神を祭るか尋ね、社人は武神なので八幡宮であると答えたため、それ以来北八幡宮と称した。 享保18年(1733年)には本殿を再興しており、それらの棟札に「建布都神社神号」があって、これらが式内比定の根拠。 |
建布都神社 ここ郡地区は古来敬神崇祖の年あつく由緒ある建布都・西宮二社を奉賛護持して遠く祖先より伝えてその加護の下に住民は安居楽業の年月を過ごしてきました。 ことし聖代平成12年・世紀2000年20世紀最後の年にあたり両社を奉斉合祀して建布都西宮神社の一社となし崇敬の心を新たにして永く後世に伝えんと願うものである。 平成12年10月吉日 氏子一同 社頭石碑 |