堀江庄一三か村は長く石清水八幡宮の庄園であつたので、何時代か明らかでないが、おそらくは当初から別宮として八幡宮が勧請せられ、庄園の中心的位置にある現社地に祀られ、氏子は結束して祭祀につとめたものと考えられる。宇志比古神が合祀せられていたかどうかは不詳。 『明治神社誌料』によれば、「当社もと惣ヵ淵と字する所に在りて、八坂神社と称せり。其地は凹地なるを以って明治10年12月現地に遷し祀るといへり」とある。 明治3年までは八幡神社であつたが、明治3年9月3日突如として民政局より「大谷八幡神社は向後宇志比古神社として奉祀候事」との通知があり改称した。 |
宇志比古(うしひこ)神社本殿 重要文化財(建造物) <平成12年10月>(近世以前/神社建築) 5 宇志比古(うしひこ)神社本殿 一棟 徳島県鳴門市大麻町(おおあさちょう)大谷(おおたに)字山田66番地1 宇志比古神社 宇志比古神社は,鳴門市の南西部に所在する。創立,沿革については明確でないが,江戸時代には八幡宮と呼ばれ,現在に至るまで地元の尊崇を集めた。明治以降,宇志比古神社を称している。 本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり),銅板葺(どうばんぶき)である。内外とも素木(しらき)であるが,外陣(げじん)内部内法長押(うちのりなげし)に唐草文様(からくさもんよう)を描き,内外陣(ないげじん)境板扉には松を描く。建立年代は,棟札,細部の様式及び技法から,慶長4年(1599)と考えられる。 宇志比古神社本殿は,規模の大きい三間社流造で,庇を板敷として両側面の切目(きれめ)縁に連ね,縁(えん)に段差を付けるなど,変化に富んだ特徴的な形式になる。 装飾が少なく全体として簡素なつくりだが,蟇股(かえるまた)や手挟(たばさみ),木鼻(きばな)など彫刻の細部は洗練された意匠をもつ。 徳島県下の神社建築本殿として最古例と考えられる重要な遺構である。 ○指定基準=流派的又は地方的特色において顕著なもの 文化庁 http://www.bunka.go.jp/index.html |