四国八十八ヶ所の第一番に当たる霊山寺の北側1kmに鎮座している。 社伝では、神武天皇の御代、阿波国に麻楮の種を播殖し、開拓した天太玉命の子孫・天富命が、守護神として天太玉命を祀ったことにはじまる。 大麻比古神社所在地一帯は板野郡の中心地帯で古代粟凡直の支配下にあつた、大麻比古神社は粟凡直によつて、古代に崇敬されたものと考えられる。 別当板東村 霊山寺、本願 同 実相院があった。霊山寺は眞言宗、實相院は修験道当山派であつた。藩政時代實相院は大麻山信仰を背景にその勢力はなかなか大きかつた。 |
由緒 御祭神 大麻比古大神 猿田彦大神 神武天皇の御代、天太玉命の御孫天富命勅命を奉じて洽く肥沃の地を求め阿波国に至りまして、麻楮の種を播殖し麻布木綿を製して殖産興業の基を開き、国利民福を進め給ひその守護神として太祖天太玉命を此の地に斎き祀る。 大麻比古神社は太祖天太玉命と猿田彦大神の御神徳を称えて奉った御社名と伝えられる。猿田彦大神は、昔大麻山の峯に鎮まり坐ししが後世に至り本社に合わせ祀ると伝えられる。 延喜の制名神大社に列し、阿波国一宮と称え阿波・淡路両国の総産土神として崇め奉る。清和天皇貞観元年従五位上を授け奉り、順次進階して中御門天皇亨保4年正一位に進み給ふ。斯く朝廷の崇敬厚く、又代々の国司領主の尊崇深く、神田山林を寄進、藩費を以て社殿の造営を行ひ、年々祭費を奉らる。明治6年国弊中社に列す。明治13年国費を以て本殿以下の造営が行はれ。現在の祝詞殿、内拝殿、外拝殿は昭和45年氏子崇敬者の寄進によって造営された。 大麻比古神社は古来、方除け、厄除け、交通安全の神として霊験を授け給い、県内外の氏子崇敬者から『大麻さん』又は『大麻はん』と親しみをこめた御名で崇められ、厚い信仰が寄せられている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
大麻比古神社 阿波一宮 大麻此古神社御由緒略記 一,鎮座地徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13 二、御祭神 大麻比古大神 猿田彦大神 三、旧社格 国幣中社 四、由緒 神武天皇の御代、天太玉命の御孫天富命勅命を奉じて広く肥沃の地を求め阿波国に到りまして、麻楮の種を播殖し、麻布木綿を製して殖産興業の基を開き国利民福を進め給ひ、その守護神として、太祖天太玉命を此の地に斎き祀る。 猿田彦大神は、昔大麻山の峯に鎮まり坐しが後世に至り本社に合せ祀ると伝えられる。 延喜の制名神大社に列し、阿波国一宮と称え阿波、淡路両国の総産土神として崇め奉る。 清和天皇貞観元年従五位上を授け奉り、順次進階して中御門天皇享保4年正一位に進み給う。斯く朝廷の崇敬厚く、又代々の国司領主の尊崇深く、神田山林を寄進、藩費を以って、社殿の造営を行い、年々祭費を奉らる。明治6年国幣中社に列す。 明治13年国費を以って本殿以下の造営が行はれた。現在の祝詞殿、内拝殿、外拝殿は昭和45五年氏子崇敬者の寄進によって造営せられた。 五、祭礼及特殊神事 例祭 11月1日氏子崇敬者が参列して大祭が斎行される。当日午後、神幸祭があり氏子達が奉仕する神輿が御旅所まで800mの参道を渡御、数台の屋台が威勢よく供奉し、伝統の獅子舞が奉納される。 神迎祭 古来旧正月三ヶ日神迎祭の神事が斎行されているが、近年は1月元旦より行われる正月大祭に氏子崇敬者約30万人が初詣に訪れ境内は初春を寿ぐ老若男女で賑わふ。 奥宮例祭 旧暦7月18日阿讃山脈の霊峯標高538mの大麻山々頂に鎮座する奥宮峰神社の例祭が斎行される。当日は氏子をはじめ信者達によって神輿の渡御がある。 旧7月17日の宵宮には夜を徹して氏子崇敬者の繁栄を祈願する大祈祷祭が行われる。 大御神楽祭 湯立神楽 大麻比古神社の春祭として旧暦3月12日に太々神楽の神事が行われる。 当日午後には、本殿前庭に於て湯立神楽の神事があり、氏子崇敬者の悪病退散、五穀豊穣を祈念する。 神火大祭 2月3日の節分当日氏子崇敬者が願いをこめて納めた祈祷木を神火によって焚き上げ、巫女が宇豆女舞、久米舞を奉納し災難壌却を祈念する。 大麻比古神社 背後に霊峯大麻山が聳え欝蒼と茂る樹々に覆われた霊気漂う神域に鎮座する本殿正面。方除・厄除・交通安全、その他すべてのことに霊験を垂れ給う大神として人々から厚く信仰されている。 大楠 本殿前に生い茂る樹齢約千年といわれる楠。神霊の宿る御神木として人々から崇められている。 大鳥居 参道入り口の朱塗りの大鳥居 高さ16m、大麻比古神社のシンボルとして昭和三三年に氏子崇敬者の寄進によって建設された。 ドイツ橋 第一次世界大戦当時、板東俘虜収容所で捕虜生活を過ごしたドイツ兵士が、すぐれた母国の土木技術を生かして大麻比古神杜境内の丸山公園に造った橋で、日独両国民の友情の架け橋として大きな役割を果たしています。 ドイツ館 第一次世界大戦で捕虜となったドイツ兵と地元の人々との交流を記念して建てられた記念館。 当時の収容生活やドイツの文化を伝える写真などが展示されている。 めがね橋 大麻比古神社内にあるこのミニチュア石橋は約75年前当時近くにあったドイツ兵俘虜収容所の兵士達が造った橋として残されています。 由緒書 |
大麻比古神社 神武天皇の御代、天太玉命の御孫 天富命 勅命を奉じて 洽く肥沃の地を求め 阿波国に到りまして、麻楮の種を播殖し、麻布木綿を製して 殖産興業の基を開き 国利民福を進め給ひ、その守護神として、太祖天太玉命を此の地に斎き祀る。 猿田彦大神は、昔大麻山の峯に鎮まり坐しが後世に至り本社に合せ祀ると伝えられる。 延喜の制名神大社に列し、阿波国一宮と称え阿波、淡路両国の総産土神として崇め奉る。 清和天皇貞観元年従五位上を授け奉り、順次進階して中御門天皇享保4年正一位に進み給ふ。斯く朝廷の崇敬厚く、又代々の国司領主の尊崇深く、神田山林を寄進、藩費を以って、社殿の造営を行ひ、年々祭費を奉らる。明治6年国幣中社に列す。 明治13年国費を以って本殿以下の造営が行はれた。現在の祝詞殿、内拝殿、外拝殿は昭和45年氏子崇敬者の寄進によって造営せられた。 公式HP |
大麻比古神社 阿波一宮 大麻比古神社御由緒 御祭神 大麻比古大神・猿田彦大神 由 緒 神武天皇の御代、天太玉命の御孫天富命勅命を奉じて洽く肥沃の地を求め、阿波国に到りまして、麻楮の種を播殖し、麻布木綿を製して殖産興業の基を開き、国利民福を進め給い、その守護神として太祖天太玉命を此の地に斎き祀る。大麻比古神社は、太祖天太玉命と猿田彦大神の御神徳を称えて奉った御社名と伝えられる。 猿田彦大神は、昔大麻山の峯に鎮まり坐しが後世に至り、本社に合せ祀ると伝えられる。延喜の制名神大社に列し、阿波国一宮と称え、阿波、淡路両国の総産土神として崇め奉る。清和天皇貞観元年従五位上を授け奉り、順次進階して中御門天皇享保4年正一位に進み給う。斯く朝廷の崇敬厚く、又代々の国司領主の尊崇深く、神田山林を寄進、藩費を以って社殿の造営を行い、年々祭費を奉らる。明治六年国幣中社に列す。 明治13年国費をもって本殿以下の造営が行われた。現在の祝詞殿、内拝殿、外拝殿は昭和45年氏子崇敬者の寄進によって造営された。 大麻比古神社は、古来方除、厄除、交通安全の神として霊験を授け給い県内外の氏子崇敬者から「大麻さま」「大麻さん」「大麻はん」と親しみをこめた御名で崇められ、厚い信仰が寄せられている。 祭礼及び特殊神事 例祭 11月1日氏子崇敬者の奉仕によって神輿の渡御及び獅子舞の奉納などの神賑がある。 奥宮例祭 旧7月18日大麻山頂に鎮座する奥宮峯神社の例祭が行われ、氏子崇敬者の奉仕によって神幸祭が行われる。旧7月17日宵宮から18日早暁にかけて三回氏子崇敬者の安全を祈念する大祈祷祭が行われる。 神迎祭 旧正月元旦、2日、3日、本殿に於て旧正月の神事が行われる。 湯立神楽 旧3月12日社務所前庭に湯竈を築き、忌火によって湯を立て、湯花を本殿に奉り、無病息災と五穀豊穣を祈念する。 神火大祭 2月節分当日 氏子崇敬者が願旨を記して奉納した祈祷木を神火によって焚き上げ、除災招福を祈願する。 社頭掲示板 |
大麻比古神社 天太玉命の神孫である天富命(あめのとみのみこと)は勅命を受け、肥沃の地を求め阿波国に到り、この地で麻植を播種し麻布木綿を精製した。その由緒により阿波地方の殖産産業の祖神として天太玉命(大麻比古大神)が奉斎された。大麻山の峰に鎮まっていた猿田彦大神を後世当神社へ合祀した。阿波国一宮として、古くより阿波・淡路両国の総氏神として崇敬された。 徳島県神社庁 |