高家神社
たかいえじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】高家神社 安房国 朝夷郡鎮座

   【現社名】高家神社
   【住所】千葉県南房総市千倉町南朝夷 164
       北緯34度57分44秒,東経139度56分58秒
   【祭神】磐鹿六雁命 天照皇大神 稻荷大神
   【例祭】10月17日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】由緒不詳
       文政2年(1819)神明社より現社名へ
       明治6年郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧跡の場所は、北方800mの山林

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「神明社」と称していた
   【社殿】本殿茅葺
       拝殿・社務所

   【境内社】

日本で唯一料理の祖神を祀った神社。
宮中大膳職坐神三座の一つ、高倍神社と縁がある。
一時期衰退し、不明となっていたが、江戸時代に神鏡が発見され、当地に祀られた。
旧社地は北800mの「足長の堰」という溜め池の北方近くの山の上という。


高家神社

■由緒
第12代景行天皇が、皇子の日本武尊の東国平定の御業績を偲びつつ安房の浮島に行幸された折、侍臣の磐鹿六雎命が堅魚と白蛤を膾(なます)に料理し献上されたところ、天皇は大いに賞味され、その料理の技を厚く賞せられ膳大伴郡を賜りました。(「日本書紀」景行天皇53年冬10月の条記)
この功により、若狭の国、安房の国の長と定められ、以後代々子孫は膳の職を継ぎ、もし世継ぎのないときは天皇の皇子を継がせ、他の氏を交えず宮中の食事を司るよう賜りました。
その後子孫の一部は、祖神である磐鹿六雎命を料理の始祖として因縁の地であるこの安房の国を選び、氏神として祀り集落を築きましたが、天災により社殿や人家、耕地は破壊され、残された人々によって現在の場所に遷祀されたものと思われます。
当社は延喜式神名帳に登載される「安房国小四社」の一社であり、古くは宮中醤院に鎮護の神として祀られ、大いなる瓶(かめ=べ)に例え、高倍の神と仰がれた御事績が現在も醤油醸造業を始め、広く料理関係者から祖神として尊崇されている由縁であります。
江戸時代初期ごろ建立の拝殿は解体され、現在平成12年9月中旬完成予定で改築工事中であります。
■特殊奉納行事
第58代光孝天皇の命により、さまざまな料理をまとめて後世に伝えた方が、四條流の祖である四條中納言藤原朝臣山陰卿でした。平安時代から朝廷を始め貴族社会の人々により宮中行事の一つとして行われてきたのが「庖丁儀式」です。
烏帽子、直垂をまとい、庖丁とまな箸を用い、切手を触れることなく、鯉・真鯛・鰹等を調理します。古式に則った所作とその庖丁さばきは、日本料理の伝統を今に伝える厳粛な儀式です。
*庖丁式の奉納は年2回
  10月17日(秋祭) 四條真流会奉納
  11月23日(新穀感謝祭) 四條流石井派鈴友会奉納

千葉県神道青年会http://chiba.jinja.gr.jp/板



高家神社 由来

主祭神 磐鹿六雁命(尊称・高倍神)
天照大神・稲荷大神を併せ祀る
◆例祭日
5月17日   春の例大祭
10月17日   秋の例大祭・庖丁式奉納(旧神嘗祭)
11月23日 新穀感謝祭・庖丁式奉納(旧新嘗祭)
毎月17日   月次祭・庖丁供養祭
 「日本書紀」の第十二代景行天皇53年冬10月の条に祭神・磐鹿六雁命について記されているが、延暦8年(789)に磐鹿六雁命の子孫である高橋氏が朝廷に奉ったとされる「高橋氏文」にさらに詳細に記述されている。
 景行天皇が皇子日本武尊の東国平定の事績を偲び、安房の浮島の宮に行幸された折、侍臣の磐鹿六雁命が、弓の弦をとり海に入れた所堅魚を釣りあげ、また砂浜を歩いている時、足に触れたものを採ると白蛤(はまぐり)がとれた。磐鹿六雁命はこの堅魚と白蛤を にして差し上げたところ、天皇は大いに賞味され、その料理の技を厚く賞せられ、膳大伴部を賜った。
 この功により若狭の国、安房の国の長と定められ、以後代々子孫は膳の職を継ぎ、もし世継ぎの無いときは、天皇の皇子を継がせ、他の氏を交えず、皇室の食事を司るよう賜った。
 また、大いなる瓶(かめ=べ)に例え、高倍さまとして宮中醤院で醤油醸造・調味料の神として祀られている。醤には、野菜を発酵させた草醤、穀物を発酵させた穀醤、魚などを発酵させた肉醤があった。今でいう漬物・味噌醤油・塩辛の三種だが、これらは日本料理の基礎をなすものであり、磐鹿六雁命が料理の祖神とされる由縁である。
 高家神社は延喜式神名帳に登載される小社の一つである。現在の所に祀られたのは江戸時代の初頭にさかのぼる。
 元和6年、現在の宮司の祖先となる高木吉右衛門が桜の木の下から、木像と二面の御神鏡を発見し、社を建てて祀る。
 200余りの後、この鏡面に御食津神、磐鹿六雁命と記されていたことがわかり、当時所在があきらかではなかった高家神社の御神体であるとして、文政2年に京都吉田御所に証を願い、御幣帛をいただく。神社拝殿内正面の御神号額(表紙写真)はこの時のもので、神祇道管領ト部朝臣良長の銘が刻まれている。
 江戸時代以降、醤油沿革史の著者・田中直太郎氏、料理法大全の石井治兵衛氏、さらには日本料理研究会初代理事長・三宅孤軒氏等の労により、祭神の御神徳が発揚され今日に到っている。
■拝殿改築と高家神社整備事業
 高家神社は日本唯一料理の祖神を祀る社として、広く調理関係者、醸造食品関係者の崇敬をいただいてまいりました。しかしながら拝殿は老朽著しく、改築を求める声も多く、またあわせて境内全域の整備に着手するため、平成10年より高家神社整備事業奉賛会を結成いたしました。関係各位の篤志を賜わり、おかげをもって平成12年10月、拝殿竣工に至った次第です。また今後、庖丁式奉納を執り行う庖丁式殿、参拝者の休憩施設、駐車場等あわせて整備を計画いたしております。
鳥居の向こう、参道正面に見える拝殿
正面奥は内拝殿、祝詞殿、御本殿と続く
拝殿の左右にある庖丁塚。毎月17日に庖丁供養祭が行われており、調理師などの関係者が供養に訪れる
庖丁式
 今からおおよそ1000年余り昔、時の58代光孝天皇は料理に造詣が深く、光孝天皇の命により様々な料理をまとめて後世に伝えたのが四條流の祖といわれる四條中納言藤原朝臣山陰卿でした。光孝天皇の時代(平安時代)から朝廷を始め、貴族社会の人々により、宮中行事の一つとして行われてきたのが「庖丁儀式」です。
 烏帽子、直垂をまとい、庖丁とまな箸を用い、一切手を触れることなく、鯉、真鯛、真魚鰹などを調理します。古式に則った所作とその庖丁さばきは、熟練の技。日本料理の伝統を今に伝える厳粛な儀式です。
 毎年、10月17日(旧神嘗祭)と11月23日(旧新嘗祭)に高家神社境内で庖丁式の奉納が執り行われます。

由緒書



高家神社

高家神社は延喜式に登載されている式内社であり磐鹿六雁命を主祭神とする日本唯一料理の祖神を祀る神社です。
「日本書紀」第12代景行天皇53年冬10月の条に磐鹿六雁命を料理の祖神とするいわれが記されており、また尊称を高倍神とし宮中醤院においても醤油醸造、調理の神として祀られています。
江戸時代初頭の元和6年、神社官司の祖先となる高木吉右衛門が桜の木の下から木像と二面の御神鏡を発見し社を建てて祀り、さらに200年余りの後、この鏡面に御食津神内、磐鹿六雁命と記されていたことが判明し、所在があきらかではなかった高家神社のご神体であるとして文政2年、京都吉田御所に証を願い御帛をいただきました。
明治期に入り醤油沿革史の著者田中直太郎氏、料理法大全の石井治兵衛氏、さらには大正期から昭和初期にかけて日本料理研究会初代理事長三宅孤軒氏等の労により、全国にその名を知られることになり、調理師、醤油、醸造関係者のみならず広く「食」を志す人々の崇敬を集めて今日に至っています。

社頭掲示板



高家神社由緒

祭神 磐鹿六雁命(尊称高倍神)
例祭日 春5月17日
     秋10月17日
      11月23日
    新穀感謝祭 包丁式奉納
景行天皇53年記(日本書紀)に皇子倭健命の平定した東国巡視を思い立ち安房の浮島に行宮を定められた時、覚賀鳥(鴎の土俗言)−伴信友説−の声を聞こうと舟遊された際に侍臣の磐鹿六雁命が白蛤(蛤の事だが一説では鮑とも云われる)と鰹を膾に調理して献上された。その料理が天皇に賞賛され命は膳大伴部えお賜り子孫を高橋氏として代々おお膳職に任ぜられ日本に於ける料理の祖神として広く調理師会並びに醤油業者に信仰のあつい全国で珍しい式内神社である。
「高家」は一名高倍に通じるので「タカベ」と読まれ「たかべさま」と呼ばれ親しまれている。

社頭掲示板



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