東大谷日女命(畝傍町)
ひがしおおたにひめみことじんじゃ


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【鎮座地】

神名帳考証には「畝傍山西の大谷村(現大谷町)」とあり、現在は畝傍山の東南にある、畝傍山の西と東と違っている。
また、日本の神社4(2000)には、
「明治に入って、畝傍山上の神社は式内社の畝火山口坐神社と定められ、やや遅れて東の山麓の熊野権現社は東大谷日女神社とされた」とあり、当社が式内社に指定されたのは明治20年頃という。
当社に先行して式内社に指定された畝傍山山頂にある畝火山口坐神社の、旧社地とされる御旅所が畝傍山の西山麓にあったことから、当社を山の西に求めるわけにいかず、神名帳考証にいう畝傍山西との記述を無視して、畝傍山の東側にあった熊野権現社を以て式内・東大谷日女神社に比定したともとれ、当社を式内・東大谷日女神社とすることには疑問が残る。
これらのことから、当社と畝傍山口坐神社の鎮座地は入れ替わったもので、今大谷町にある畝火山口坐神社の地が当社本来の鎮座地ではないかともいう。





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