河俣神社
かわまたじんじゃ


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【出雲国造神賀詞】

大穴持命乃申給久、皇孫命乃静坐牟大倭國申天、己命和魂乎八咫鏡爾取託天、倭大物主櫛甕玉命登名乎称天、大御和乃神奈備爾坐、己命乃御子阿遅須伎高孫根乃命乃御魂乎葛城乃鴨乃神奈備坐、事代主命能御魂乎宇奈提乃神奈備爾坐、賀夜奈流美命乃御魂乎飛鳥乃神奈備爾坐天、皇孫命乃近守神登貢置天八百丹杵築宮爾静坐支
とあり、これによつて大穴持命の子息である阿遅須伎高孫根命を葛城にとどめ、事代主神を宇奈提(雲梯=当社)にとどめ、賀夜奈流美命を飛鳥へと各神奈備において、天皇の守護神とした事が明らかにされる


【日本書紀】

天武天皇元年7月条に、壬申の乱(672年)において大伴吹負を中心とする大海人皇子軍が飛鳥古京を制したころ、 高市縣主(たけちのあがたぬし)許梅(こめ)が急に言葉が喋れなくなり、三日の後に神憑かりになって、「吾は高市社(たけちのやしろ)に居る、名は事代主神。又、牟狭社(むさのやしろ。式内大社、牟佐坐神社。橿原市見瀬町)に居る、名は生霊神(いくたまのかみ)なり」「神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと、神武天皇)の陵(みささぎ)に馬及び種々(くさぐさ)の兵器(つはもの)を奉れ」「吾は皇御孫命(すめみまのみこと)の前後(みさきあと)に立ちて、不破に送り奉りて還りき。今且(また)官軍(みいくさ)の中に立ちて守護(まも)りまつる」「西道(にしのみち)より軍衆(いくさびと)将に至りなむとす。宜しく慎むべし」と言って目覚めた、という記事がある。





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