鏡作坐天照御魂神社
かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ


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【祭神】

祭神3座については古くからの変遷があったようで、諸資料記載の祭神を列記すれば、次のようになる。
   資  料  名       中 社       右 社   左 社
八尾鏡作大明神作法書(時期不明) 天糠戸命      石凝戸姥命 己凝戸辺命 大和志料記載
社記(天文2年・1533・室町時代) 石凝姥命      天糠戸命  天児屋根命
大和志料(明治27年・1894)    石凝姥命      天糠戸命  天児屋根命 社記を踏襲
礒城郡誌(大正4年・1915)    天照大神御魂    石凝姥命  天糠戸命
全国神社祭祀祭礼総合調査     天照国照彦天火明命 石凝姥命  天糠戸命
社頭掲示板            天照国照彦火明命  石凝姥命  天糠戸命
 延喜式には“鏡作坐天照御魂神社”一座とあるから、本来の祭神は、鏡作氏の祖である天糖戸命(アメノヌカト)・石凝姥命のいずれか一座、あるいは当社が天照御魂を名乗ることから、本来の祭神は日神・アマテル神であって、後にアメノヌカト・イシコリトメ両祖神を合祀したとも思われる。


【神宝の鏡】

神宝として鏡が納められている。「三角縁神獣鏡」とされるもので、その紋様から“三神二獣鏡”であるが、外側を環状にとりまく外区部分を欠いている。
森浩一氏は「八尾の鏡作神社には三角縁神獣鏡の内区だけの遺品があって、鏡製作の原型と推測できる」としている。
大和岩雄氏は、「鏡作の工人が鏡製作の原型として使っているうちに外区が欠けてしまい、鋳型の原型としては使用不能となったために、神社に奉納し、それが神宝として伝えられたものと推測する」といている。



鏡作坐天照御魂神社

かがみつくりにますあまてるみたまじんじや 奈良県磯城郡田原本町八尾。旧県社。祭神は石凝姥命・天照国照彦火明命・天児屋根命とする。鏡作の神、鏡作三所大明神ともいう。『大倭神社注進状裏書』によれば、「社伝ニ云ク、中座ハ天照大神之御魂也、傅へ聞ク崇神天皇ノ6年9月3日、於是地改鋳日御象之鏡、為天照大神之御魂、今之内侍所ノ神鏡ナリ、即チ当社ハ其像鏡奉斎、爾来号此地ヲ曰鏡作」とあり『延喜式神名帳』にある鏡作麻気神社、鏡作伊多神社については同じく社伝に「左座麻気神者天糖戸ノ命大山祇之子也、此ノ神鋳作日之御像鏡、今伊勢崇秘大神也、右座伊多神者、石凝姥神、天糠戸命之子也、尊此ノ神モ鋳作日象之鏡、今紀伊之国日前神是也」とみえる。従って、創立も崇神天皇6年とみられる。大同元年(806)大和、伊豆に封一八戸、また貞観元年(859)従五位上、例祭10月25日、2月21日おんだ祭の神田行事とて、田鋤きの所作と、苗松の奪い合い、砂かけ行事などがある。

神社辞典



郷社鏡作坐天照御魂神社

祭神 天照國照日子火明命 石凝姥命 天児屋根命
本社創建の年代詳かならすと雖も、延喜式内の古社にして、祭神は天日神命(神社覈録)及び鏡作連の祖神たり(旧事記神宮類例集)聖武天皇天平2年、鏡作社に神戸租稲百余束を以て祭神及神嘗酒料に充てられ(正倉院文書)平城天皇大同元年大和伊豆の地十八戸を神封に充て奉り(新抄格勅符)清和天皇貞観元年從五位下より從五位上を授けらる(三代実録)醍醐天皇延喜の制大社に列り、祈年、月次、新嘗の案上幣帛に預る(延喜式)又古へ此社内に鏡池と称する池水あり、之れ天照大神天の岩戸に籠らせ給ひし時、石凝姥命天香具山の銅を採りて日像の鏡を鋳造せらるる時に、用ゐられたる水なりと云ふ、然れども今乾涸して其跡なし(国華萬葉記、和州旧跡■考)宮古村近郊七ケ村の氏神として、毎年9月19日祭を行ひ、(祭良県神社取調書)明治6年郷社に列せらる。
社殿は本殿、拝殿等の建物あり、墳内2952坪(官有地第一種)、大和平野の中央に位し、老樹森々として繁茂し、頗る風致に富めり。

明治神社誌料



鏡作坐天照御魂神社 大月次新嘗

鏡作は加々美豆久里と訓べし、和名鈔(郷名部)鏡作(仮字上の如し)天照御魂は阿麻氏留美多麻と訓べし、
〇祭神天日神命〇八尾村に在す、社傍有鏡池、池今乾涸、(大和志、同名所図会)
類社
山城國葛野郡木島坐天照御魂神社の下見合すべし
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下鏡作天照御魂神從五位上、

神社覈録






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