駒形大重神社
こまがたおおしげじんじゃ


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【祭神】

葛木大重神社−−滋野貞主命(滋野朝臣貞主)
滋野貞主は、淳和・仁明・文徳三帝に仕え内外の顕職を歴任した実在の人物(785-852)で、その娘二人が仁明天皇および文徳天皇の後宮に入り親王・内親王を産むなど、貞主の家は天皇の外戚としても繁栄した。
駒形神社−−祭神不詳
「駒形神社の祭神不詳なれど、陸中国胆沢群金崎村国弊中社(岩手県胆沢郡金崎町の式内・駒形神社)の分霊と伝え、古事記及び延喜式考証(1733)には木の股の神とあり、当社境内山林を駒形山と云い、祭神を土人木股神と伝承すれば、あるいは木股神又は駒形神ならんか」(大和志料)


【葛木犬養神社説】

「新抄格勅符抄」に「大同元年牒(806)葛木犬養神 廿戸 信濃」とある
この葛木犬養神は当社祭神を指すとして、大重は犬養の誤写で、祭神は、書紀にいう皇極4年(645)6月8日の蘇我入鹿誅殺の挙(乙巳の変)に加わり、入鹿を斬ったという葛城稚犬養連網田の祖神を祀るという。


葛木大重神社

葛木は前に同じ、大重は於保志気と読べきか、諸本仮字なし、猶考ふべし、〇祭神詳ならず〇楢原村に在す、(大和正)和名鈔(郷名部)楢原(奈良波良)
万葉集六、紀朝臣鹿人見茂岡之松樹歌、茂岡爾神佐備立而榮有千代松樹之歳之不知久、とある此茂岡に坐て、大は尊称なるべし、大和志に、重丘在楢原村、緑樹暢茂林中有祠と云り、則大重神社也、』上田百樹云、大重を一本火重とあり、いつれも聞えがたし、共に火雷を誤りたるならん、忍海郡に葛木坐火雷神社二座とあるは、是を祭れるならん、と云るは皆推量りたるにて、其証なければ從ひがたし、

神社覈録






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