大酒神社
おおさけじんじゃ


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【オオサケの神】

延喜式にあるように、当社元々の神は“大辟神”(大避・大裂・大荒とも記す)で“オオサケの神”と訓む。
当社ではオオサケのサケに“酒”の字をあてるが、これは“境”(サカイ)の意味をもつ“辟”(サケ)が転じたもので、飲用の酒とは直接的な関係はない。また、大酒の社名は秦氏の祖・酒公を祀るためともいうが、これは俗説で、酒公は酒瓶の中で育ったとの伝承があること、酒造りの神として知られる松尾神社の奉斎氏族が秦氏であるなど、秦氏が酒に関係することからのものかもしれない。
日本民俗学の創始者ともいわれる柳田国男(1875--1962)によれば、サケ(避・裂・辟)は、サカ(坂・境)・サコ・セコ(迫)・サキ(崎・尖・岬)・ソコ(底・塞)・ソグ(削)などと同根の語で、いずれも“隔絶”の意味だという(石神問答1941・毛坊主考1914)。隔絶は、“ものごとを距てる”・“遠ざける”・“おおきく離れた状態”などを意味するが、換言すれば、此処と彼処とを距てる“境・辺境”のことであって、民俗学でいう“境界”と同意といえる。
ここから“オオサケの神”とは“境(辺境)の神”・“境界に坐す神”を指すと考えられ、“シュクシン”または“シュクジン”、地域によってシャクシン・シャクジン・シャクジ・サクジン・ミシャグチ・シャクジなど種々の呼称で呼ばれ、宿神・石神・守宮神・左宮司・左久神・作神・社宮神・左口神などいろんな字が宛てられる(以下、「宿神」と記す)。
柳田国男は、「シュクは元の音おそらくはスクで、ハチと同じく都邑の境または端(ハズ)れを意味した語である」(毛坊主考)というが、シュクすなわち境界とは、具体には村外れ・川辺・坂・峠などを指し、そこは人が常住するには適さない辺境で、神や精霊といった霊的なものが往来し、居着く聖なる場所とされている。  そのような境・辺境に坐す神=宿神は、外からの邪神・悪霊・疫病神などを遮る神として崇められ、これを祀ることでその地を守護するとされる。それが、辺境・シュクに住む人たちや放浪する人たち・特に芸能者たちから篤く崇敬された由縁でもある。
http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/oosake.html


大酒神社 元名大辟神

大酒は於保佐氣と訓べし○祭神豊彦正歟(考証に、太秦公祖秦酒公云々、」比保古に、一説云、弓削守屋大連也といふ、今従はす、)○太秦村桂宮院内に在す(山城志)
○元名大辟神の五字は、後人加筆なるべし、○姓氏録、(未定雑姓山城國)大辟、津速魂命之後也、」紹運録云、安閑天皇御子豊彦王、(現神播磨國大辟大明神是也、秦氏祖云々、)
神位
続日本後紀、嘉祥2年9月丙寅、奉授山城國葛野郡大辟神從五位下、縁屡有霊験所祈必応也、

神社覈録






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