木島坐天照御魂神社
このしまにますあまてらみむすびのやしろ


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【社名】

吉田家本では「天照御魂」を「アマテラスムミスヒ」、金剛寺本では「アマテルミムスヒ」と訓んでいる。
『神名帳考証』『神祇志料』『神社覈録』では「アマテルミタマ」と訓んでいる。
ムスヒの訓は、ムスは物の成り出づるを、ヒは物の霊異なる神霊をいい、したがつてムスヒとは穀霊を表現する古語である。


【祭神】

社名から見て本来は「天照御魂神」を祀る神社ということになる。
「天照御魂神」がどの神を指すのかについては諸説ある。『神社志料』では天火明命のこととしている。これは、天照御魂神社は大阪府茨木市、兵庫県龍野市、奈良県田原本町、福知山(天照玉命神社)にも鎮座しており、火明命を祀っているので、この社の祭神をも火明命と考えるものである。
関西には、ほかにも「天照(アマテル)」のつく神社がいくつかあり、元々はそれぞれの地の太陽神を祀っていた神社と考えられている。



【太陽信仰】

当社は太陽信仰との深い関係が想定される。拝殿左の林の中に“元糺の池”という神池がある。池の中に、鳥居三基を(上から見て)正三角形に組み合わせた“三柱鳥居”(三面鳥居・三っ鳥居・三角鳥居ともいう)が立ち、その中央部に小石を積みあげたヒモロギの中に幣帛が立っている。
 ・三柱鳥居の東南東方向に稲荷山(伏見稲荷大社)、西南西方向に松尾山(松尾大社)がある
 ・冬至の朝日が稲荷山から昇り、夕日は反対の愛宕山に落ちる
 ・夏至の朝日が比叡山系の主峰・四明岳から昇り、夕日は反対側の松尾山に落ちる
などから、当地は冬至・夏至といった特定の日の太陽を遙拝する聖地、すなわち日読みの聖地ではなかったかという。




郷社 木嶋坐天照御魂神社

本社創建年代詳かならす、元廣隆寺より護持せるものなるが、寺記に祭神の名を記せす、只だ口碑に伝ふるのみ、即ち天照大神を主とし奉り、上は天神に至り下は地神に渉り、御魂の総徳を感じて天照御魂神と拝し来れしとぞ、寺記には「木嶋明神は和光神徳広大、随人心所欲得酒耳両自在施成稼■豊樂、明神歓喜、則無旱遼災蒼生不信、則有疫疾憂」とあり、嵯峨天皇御宇、学士大江伊時、木島に参籠して、遊仙窟の訓点を授けらると云ふ、倭漢三才図会に「嵯峨天皇、書巻中得遊仙窟召紀伝儒者欲伝授也、諸家皆無傅、學士時伊深愁歟、于時木島社邊草庵、有老翁閉両眼常誦遊仙窟者伊時聞及到彼処請誦習之、翁諦読之、伊時付假名、読一佚畢還、帰之後送珍宝、庵跡異香郁々無其跡蓋木嶋大明神為化現耳」と見えたり、蓋し文保3年4月記にして遊仙窟の跋文なり、神名帳考証に「今在太秦東南、天日神命乎、古事記云、天日神命(対馬懸主等祖)蓋高皇産霊命子也云々、外宮作所記云、長禄2年23日、次秦木島明神成祟、叙正一位と見え、神祇志料に、「今太秦村木島森にあり、木島明神と云(山城名勝考廣隆寺来由記)蓋天津日高日子番能邇々芸命の皇子天火明命を祭る、火明命亦名を天照國照彦天火明命といふ、故之を天照御魂神とも称申せり(延喜式)文武天皇大宝元年4月勅して本社神稻を中臣氏に給ふ制を立てらる(続日本紀)平城天皇大同元年神封九戸を寄せ奉り(新抄絡勅符)清和天皇貞観元年正月從五位下木島天照御魂神に正五位下を授け、陽成天皇元慶元年幣を捧けて甘雨を祈らしむ(三代実録)醍醐天皇延喜の制名神大社に列り、月次相嘗新嘗祈年案上及祈雨の官幣に預る(廷喜式)明治6年6月郷社に列す、社殿は本殿、前拝、社務所、神輿舎等を備へありて、境内坪教1895坪(官有地第一種)あり。

明治神社志料



木島坐天照御魂神社 名神大月次相嘗新嘗

木島は古乃志末、」天照御魂は阿麻氏留美多末と訓べし、(今按、御は美称の辞、魂は日本紀神代上に、倉稲魂此云宇介能美■麻とある魂也、然るに御魂を美牟須毘とも点ぜるは、祈年祭祝詞、出蜘蛛国造神賀辞等に、高御魂と書て、タカミムスヒと読るを証としたるなれど、是とは別也、混ふべからす、)○祭神天照大神(社説)○太秦村木島に在す(名勝志)○式二、(四時祭下)相嘗祭神七十一座、木島社一座、(坐山城国)」同三、(臨時祭)名神祭二百八十五座、山城國木島坐天照魂神社一座、」祈雨祭神八十五座、(並大)云々、木島社一座、○日本紀、顯宗天皇3年4月丙辰朔庚申、日神著人謂阿閉臣事代日、云々、(全文当郡羽束師坐高御産日神社の條に出す』)旧事紀、(天神本紀)天日神命、対馬縣主等祖、○永万記木島社
旧事紀劈頭に、紀如尚云、天日神命者、非伊勢大神、蓋是高皇産霊裔神也、顯宗紀云云、対馬島下縣郡高御魏神社、阿麻氏留神社、又山城國葛野郡木島坐天照御魂神社、右所謂日神阿麻氏留神、天照御魂神、是皆天日神命也乎とぞ云るぞ然るべき、なほ当郡葛野坐月読神社の條考へ合すべし、」広隆寺縁起に、木島明神者、(鎮守三十八ケ所内)霊験殊勝深秘之神也と云るは、例の後世に偽作せるものなるべし、
類社
大和國城上郡他田坐、天照御魂神社(大月次相嘗新嘗)同國城下郡鏡作坐天照御魂神社、(大月次新嘗)摂津國島下郡新屋坐天照御魂神社三座、(並名神大月次新嘗、社中天照御魂神一座、預相嘗祭)山城國久世郡水主神社十座、(並大月次新嘗、社中同水主坐天照御魂神云々二座、預相嘗祭)対馬島、下縣郡阿麻氏留神社、丹波國天田郡天照玉命神社、河内國高安郡天照太神、高座神社二座、(並大月次新嘗、元号春日戸神)播磨国揖保郡粒坐天照神社、(名神大)
連胤按るに、大和國以下対馬島までは、かならず同神なるべく、丹波國なるは丹波氏の氏神とすれば、いかがあらん、いまだ考へ定めず、河内國播磨國なるは、伊勢都彦命なク、猶其社々の條によりて辮ふべし、
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授○山城國從五位下木島天照御魂神正五位下、南方紀伝、長禄2年2月23日、太秦ノ木島明神ヲアガメテ正一位ニ叙ス、
官幣
三代実録、貞観元年9月8日庚申、山城國木島神、遣使奉幣、為風雨祈焉、
雑事
続日本紀、大宝元年4月丙午、勅、山城國葛野郡木島神神稻、自今以後給中臣氏、〇遊仙窟(文書生英房)跋云、嵯峨天皇書巻之中、撰得遊仙窟、召紀伝儒者欲伝授也、諸家皆無伝、學士伊(以下略)

神社覈録






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