【由緒】 延喜式内 山家神社 御祭神 大国主神(おおくにぬしのかみ) 伊邪那美神(いざなみのかみ) 菊理姫神(くくりひめのかみ) 相殿 日本武尊(やまとたけるのみこと) 神八井耳神(かむやいみみのみこと) 平安時代の延喜・延長年間に編纂の「延喜式神明帳(えんぎしきじんめいちょう)」と言う法典に収載されている由緒正しき神社である。 創立は不詳であるが、この地域の産土神(うぶずなかみ)(守り神)であり、四阿山(あずまやさん)(山頂に奥宮が鎮座)を源とする神川(かんがわ)沿岸に生活する人々の「水分(みくまり)の神」として厚く崇拝されている。 上田城の鬼門除けの神として真田幸隆の時代から上田歴代藩主より信仰され、今日まで大切に守り継がれてきた。 社伝によると養老2年(718)加賀国(石川県)から白山信仰は伝わり、以来明治まで「白山権現・白山宮・白山さま」の名称で人々に親しまれてきた。 平成23年 山家神社 社頭掲示板 |
【山家神社社叢】 天然記念物 山家神社社叢 境内一帯に成育しているこの社叢は、明治20年の真田大火の際、類焼をまぬがれた樹をもとに、大正初期に植えられたものが、今日見るような美事な社叢景観を呈している。 樹種はスギを主体とし、アカマツ、ヤマザクラ等約20種に及び、植栽年度も明らかなことから、将来生態学上にも貴重である。 現存する周辺社寺叢では規模も大きく学術的価値も高い。 社頭掲示板 |
【山家神社の鬼瓦】 現在の社殿は明治20年の真田大火で類焼し、翌21年に再建されたものであるが、再建後百余年を経て、傷みが激しく平成の大改修の一環として平成8年に屋根を銅板に葺き替えた。 古い屋根は瓦葺きであったが、中でも鬼瓦は大きく立派なものであり、当時の面影を伝える貴重な資料として、ここに展示し、先人の遺徳を偲び、広く当神社の歴史を伝え、氏子の繁栄を祈るものである。 この鬼瓦は、明治21年に製作され、本殿大屋根の左右に設置されていたものである。 この展示は左右一対の鬼瓦を表裏合わせてある。 鬼瓦に刻まれた三つ巴紋は、山家神社の神紋である。 平成10年1月吉日 社頭掲示板 |
【白山寺跡】 ここには、山家神社の神宮寺として白山寺があり、寺号を岩井山理智院白山寺(いわいさんりちいんはくさんじ)と言い、宗派は天台宗であった。創建年代は分かっていないが鎌倉時代以前とみられる。 明治維新以前は神仏混淆(しんぶつこんこう)で山家神社と同敷地内にあったが、明治元年の神仏分離令により、寺は廃寺となった。 本尊の十一面観音は傍陽の実相院、仁王像は鹿教湯の文殊堂、石灯籠は山家神社に残っている。 跡地には、現在真田神社が建立されている。 社頭掲示板 |