伊雑宮
いざわのみや


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【祭神二座】

御巫清直は当社二座のうち、一座は天照大神の御魂(主神)、いま一座は伊佐波登美神=玉柱屋姫命(相殿神)であり、後者は前者を創祀した功により祭られたものだとする。
阪本廣太郎は「粟嶋神」は志摩一帯の磯部氏によつて早くから祭られていたが、その境内に新しく祀られた天照大神の御霊(伊雑神)が次第に有力化して、途には主神と相殿神の関係が逆転したとする。


【社殿】

神亀6年(729)の『志摩國輸庸帳』と大同元年(806)の牒によれば奈良時代(神亀)から平安初期ころまでは、「粟嶋神」と「伊雑神」が独自に神戸を持つているから、社殿も各々別所にあつたと考えられる。しかも当時は、「粟嶋神」の方が「伊雑神」より上位に置かれ、ほぼ同等の待遇を受けていたとみてよい。それが「粟嶋坐伊射波神社二座」と表記されるに至つたのは、おそらく大同以降、貞観式の成立以前に二座が合祀されたからであろう。しかし、その合祀は「粟嶋神」の境内に「伊雑神」が鎭祭された(阪本説)のではあるまい。むしろ、「伊雑神」の境内に「粟嶋神」が吸収され、やがて後者は前者の相殿神となつた爲に、神社名としても神戸名としても「伊雑」のみとなり、「粟嶋」の名は消えてしまつたものと思われる。(式内社調査報告)





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