新屋坐天照御魂神社
にいやにますあまてるみたまじんじゃ


戻るボタン





【由緒】

社伝によると、崇神天皇の御代御降臨になり、同7年秋9月に伊香色雄命を以てはじめてこの新屋郷福井の丘山の榊に木綿を掛け、注連縄を引いて祭給うた。その後景行天皇の御代天照皇大神と崇め給い、神功皇后三韓征伐の時、摂津国三島県新屋川原に於て身潔の祓を行い当社を祭給うた。御凱旋後天皇皇大神の幸御魂荒御魂を西の川上と東の川下のあたりに祭らせ給うた。これが現在の上川原、西川原の社であるという。
その後、当社へ代々朝廷より幣使を立させ給うたのである。天皇の御崇敬もさることながら、祭神の御子孫新屋連の崇敬も厚く、附近の古墳もその関係のものかとも思われる。


【祭神】

今、3社の祭神は次のようになっている。
・西福井の社−−天照皇御魂大神・天照国照天彦火明大神・天津彦火瓊々杵大神
・西河原の社−−天照御魂神(天照国照彦火明大神)相殿神−−天児屋根命・建御名方命
・宿久庄の社−−天照皇御魂大神・天照国照彦火明大神・天津彦火瓊々杵命
神名帳に「就中天照御魂一座預相嘗祭」とあり、主祭神は天照御魂神であると思われる。
由緒からみると、西福井・西河原・宿久庄の3社ともに同じ三座を祀るととれ、現在の各社祭神もほぼそうなっているが、三座を一座ずつ3ヶ所に分けて祀ったとも考えられるが、ただ、どの神がどの神社に祀られたのかは不詳である。
天照御魂神以外の二座について、古くから異説があり、栲幡千々姫命・手力雄命とする説(神祇宝典)、伴馬立神・伴酒着神とする説(神祇志料)などがある。





戻るボタン


摂津国INDEXへ        TOPページへ


学校一覧 学校一覧 高精度の学校住所録