【由緒】 社伝によれば、天智天皇7年(668)、新羅の沙門道行は熱田神宮の神劔を盗んで本国へ逃げ帰る時、海中で遭難して難波津に漂着したが、その後も風雨烈しく、道行は途に神罰を恐れて、神劔を海中に投げ捨てて逃げ去つたのである。そこで里人がこの神劔を拾ひあげ、当社神殿に収めて「八劔大神」と申上げるようになつた。この神劔は天武天皇朱鳥元年(686)6月、皇居より熱田神宮へ返納されるのであるが、この18年間、神劔が当社に奉安されていたのか、皇居に伝送されていたのか、委細は不明である。 |
【草薙御神剱】 記念碑 草薙御神剱 御動座奉齋 千三百年記念大祭 天智天皇7年(668)新羅国の僧、道行、熱田宮より草薙御神劒を盗み帰途、難波津にて大嵐に遇ひ古代大和川口放出村に漂着。これ御神罰なりと恐懼し、御神劒を放り出し逃げ去る。のち之を当社に合祀奉齋す。朱鳥元年(686)勅旨により熱田宮に奉還す。されどその御分霊は永遠に当社に留り給ひて中御門天皇の享保8年(1723)御神階正一位八劒大明神に奉幣せらる。 その後も朝廷の尊崇厚く、摂津古図に浦明神とあるは即ち是なり。御神劒奉還のことは「熱田大神鎮座記」と「熱田大神宮御遷宮諸事留」の考証による。 昭和43年(1968)は、御神劒御動座より1300年に当る。依って10月6日の吉日を卜し謹みて記念祭典を奉齋す。 此の日、熱田神宮より奉幣使参向、出雲大社宮司参拝、浦安の舞、御神劒ゆかりの出雲神代神楽(簸の川)等の奉納あり。祭儀荘厳神人和楽以て盛儀を終へ奉る。この記念大祭に終始協賛の誠を尽されたる氏子並に神社関係者各位に万腔の謝意を表し茲に建碑の辞とす。 昭和43戊申歳12月吉日建之 阿遅速雄神社 宮司 寺園千枝 総代 一同 社頭石碑 |
【天然記念物 くす】 大阪市鶴見区放出東婀遅速雄神社あちはやおじんじゃの老樹であるが四季を通して、枝葉を旺盛で風雪に耐え、境内に荘厳の風を添えている。幹囲目通り 19尺2寸(約6m) 樹高 約50尺(約16m) 枝張 約98尺(約30m)より社頭の森厳を加え当方における名樹である。 (大阪府教育委員会 大阪府文化記念物保存顕彰規定により昭和18年8月23日 天然記念物指定) 昭和27年3月 大阪府教育委員会 |