生国魂神社
いくくにたまじんじゃ


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【八十島祭】

八十島祭は文徳天皇即位の嘉祥3年(850・平安前期)に始まり(それ以前からあったともいう)、御堀河天皇即位の元仁元年(1224・鎌倉初期)までの30代・約370年間に22回おこなわれた祭祀で、新天皇即位時におこなわれる大嘗祭の翌年(初回のみ前年)に、即位儀礼の一環として難波津の海辺でおこなわれたという。
 その祭祀次第は、宮廷から派遣された祭使(女官・新天皇の乳母が任じられたという)が、神祇官の官人や生島巫などの巫女を従え、新天皇の御衣を納めた筥(ハコ)を捧持して難波津に下向し、海辺に設けられた祭場で、“神祇官が御琴を弾じ、女官が御衣筥を開きて之を振る”のが中心となる神事で、終了後、御衣を京に持ち帰って天皇のもとに返却したという(江家次第・11世紀末頃)。
 八十島祭の性格については、古くから“禊祓説”と“国土の生成発展を祈願する祭儀説”とがある。
 *禊祓説とは、難波の浜から海に向かっておこなわれること、奉られる幣帛のなかに“金銀人像”など祓つ物(ハラエツモノ)と思われるものがあること、祭式次第のうちに修祓があること、延喜式で主祭神とされる住吉神がイザナギの禊ぎのときに誕生した神であること、などからくるもので、
 *国土生成発展の祈願説とは、この祭祀に生島巫が参加していること、招魂呪術的神事があることなどを重視し、大八洲の霊(国魂)である生島神・足島神を祀る祭儀とするもの、という。





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