赤留比売命神社
あかるひめのみことじんじゃ


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【阿加流比売神(あかるひめのかみ)の伝説】

その昔、新羅(しらぎ)の阿具沼(あぐぬま)という沼のそばで、ひとりの女が昼寝をしていました。 ポカポカいい天気で、太陽の光はサンサンとその女の体に注いでいます。
しばらくすると、太陽の光はまるで虹のように七色になりました。すると、なんとも不思議なことに、女は赤い玉を産んだのでした。
綺麗な美しい玉でした。その様子を一部始終、見ていたひとりの男がいました。男は、その美しい赤い玉がどうしても欲しくなり、 女に頼んで、もらい受けます。「これは貴重なものに違いない。」そう思った男は、その日から、 その赤い玉を肌身離さず持ち歩くようになりました。
ある日、男は、牛に食べ物を積んで、山まで運んでいました。その道中、天之日矛(あめのひぼこ)と出会いました。天之日矛といえば、「古事記(こじき)」や「日本書紀(にほんしょき)」 など日本神話に登場する神で、新羅(しらぎ)の王子だったとされる人物です。
天之日矛は、男が牛を殺して食べるつもりではないかと、とっさに思います。その当時、牛を食べるなど許されないことです。「なんと危険な男なのか。」と、天之日矛は、男を捕らえて、 牢屋に入れようとしました。
ただ、それは勘違いでした。男は牛を食べるつもりなど全くなかったのです。しかし、それをどんなに説明をしても天之日矛は許してくれませんでした。
そこで、男は、いつも大切に持ち歩いていたその赤い玉を差しだしました。天之日矛は、その美しい玉を手にして、 ようやく機嫌を直し、男を許したのでした。
天之日矛は、その赤い玉を屋敷に持ち帰って、床に置いていました。すると、不思議なことに、玉は美しい娘に なったのでした。
阿加流比売神天之日矛はその娘を妻としました。娘は毎日のように、美味しい料理をつくって、天之日矛を迎えて くれました。
しかし、ある日、とあることから、おごり高ぶった天之日矛が娘をののしります。娘は、ひどくショックを 受けて、「親の国に帰る。」と言い放って、そのまま小舟に乗って難波の津に逃げたのでした。
難波には、 比売碁曾(ひめごそ)の社という神社があります。実は、その娘は、難波のに鎮まる阿加流比売神という神だったのでした。
ここ赤留比売命神社が立てられた経緯は明らかでありませんが、また、延喜式(えんぎしき)という書物に記録されて いるので、少なくとも平安時代より前に立てられたと考えられています。
また、阿加流比売神は、ここ赤留比売命神社のほかに、大阪市西淀川区の姫島神社(ひめじまじんじゃ)にも祭られています。





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