深見神社
ふかみじんじゃ


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【由緒】

我が国の神社総覧とでもいう記録で最も古いのは、延長5年(927)に奉進された「延喜式」神名帳である。
これに記載されている神社を延喜式内社と呼びならわし古社であることを意味し、当神社も延喜式内社で相模国に十三座ある内の一座である。
創建年代と御祭神は「総国風土記」によれば「相模国深見神社雄略天皇22年3月(約1500年前)に祭るところ闇おかみ神なり」と記されている神社縁起によれば「武甕槌神東国鎮撫のため、常陸鹿島に在られし時船師を率いてここに進軍され、伊弉諾の神の御子の倉稲魂神と闇?神の二神をして深海を治めさせられた。
闇おかみ神(くらおかみのかみ・雨神)は美田を拓き、土人を撫して郷を開かれた」とある。即ち深見の名の起こった所以である。
後世徳川時代になると深見は旗本坂本家の知行地となり坂本家の崇敬する鹿島神宮(武甕槌神)から分霊を受けて、従来から祀られていた闇?神は境内にある御倉稲荷社に合祀された。
以来深見神社の祭神は武甕槌神(武運長久)となった。
平成24年3月に現社殿再建七十年を節目として創建時の御祭神の闇おかみ神を本殿に合祀した。
明治9年 火災により社殿工作物などを悉く消失
明治42年 末社の諏訪神社(建御名方神)合祀
昭和17年  現在の社殿再建

公式HP



【深見神社社号標】

市指定重要文化財(有第四号)
深見神社社号標
指定年月日 昭和47年2月25日
形状 尖頭角柱型
高さ 146cm 幅30cm 奥行25cm
この社号標は、寛政3(1791)年に建立された石碑です。深見村の領主であった旗本坂本重治が造立したと伝えられています。正面には「相模国十三座之内深見神社」と刻まれ、深見神社が延喜式内社であることがわかります。
延喜式内社とは、延長5(927)年に完成した延喜式の神名帳に列記された神社のことで、相模国には寒川神社など全部で13座ありました。このことから深見神社は平安時代にはすでに存在していたことが判ります。
大和市教育委員会

社頭掲示板



深見神社

深見は布加美と訓べし、和名鈔、(郷名部)深見、(仮字上の如し)〇祭神武甕槌命、(地名記)○深見村に在す、(同上)今鹿島大明神と称す、例祭。月日、○総國風土記七十残欠云、相摸國高座郡深見神社、(或作深水、深海)雄略天皇22年3月、所祭闇おかみ也、

神社覈録






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