深川神社
ふかがわじんじゃ


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【陶製狛犬】

国・重要文化財
高さ51.5p 胴径24.0p〜39.0p
伝世により表面が黒く汚れ、本来の美しさを失っているが、透明性の強い灰釉が全体にかかる大型の瀬戸窯産狛犬(吽)である。
造形手法は、紐作り成形に頭部や両肢を付した簡潔なものだが、表面を丁寧に仕上げ、2段のたてがみや、衿毛、胸毛を櫛目条線で表現しており、木彫等にみられる鋭さとは異なった力強さをもっている。
長く陶祖藤四郎の作という伝承をもつ作品だが、編年研究の進んだ現在では、南北朝末期の作とみる説が有力である。江戸時代初期の神社火災で前肢が損傷したといわれ、台座陶板前部や後肢先端、左前肢が欠損する。また、右前肢も膝の部分で折損、接合されている。
淡茶色でガラスのように透明な釉薬が全体にかかっている。左前足も後補。右前足は膝の部分で折れ柄で継いであり、左前足も後補。
頂上の肉角も破損している。手法は簡潔であるが緊張感があり、作者の技法の確かさが汲みとれる。木彫などに見られる鋭さとは異なった力強さを持っている。時代は鎌倉、瀬戸の陶祖藤四郎の作となっている。いわゆる椿窯手である。
文化財ナビ愛知


【深川神社 本殿 (市有形(建造物))】

木造切妻流造、柿葺 江戸時代後期
所在地:深川町 所有者:深川神社
深川神社は、瀬戸地区の氏神として崇敬を集める神社で、平安時代に作られた『延喜式』や鎌倉時代に作られた『尾張国内神名帳』に記載されている神社です。室町時代から江戸時代にかけては「八王子社」と呼ばれていました。
深川神社の本殿は、文政6年(1823)の建立で、京都の上加茂神社・下鴨神社を模範とする「流造(ながれづくり)」と呼ばれる建築様式です。屋根は、本殿が柿(こけら)葺きで、拝殿が陶器瓦を使用した瓦葺きです。建築した人物は、春日井市の内々神社を造営した著名な宮大工一統の立川和四郎で、軒先などに精密な彫刻がみられるのが特徴です。また、本殿と渡殿・拝殿等の建物が一直線に並ぶ建物の配置は、尾張地方に見られる独特の様式です。
(広報せと平成18年12月15日号「瀬戸の文化財第12回」より)


【永享年銘 梵鐘 (市有形(工芸))】

高さ:87.3cm
室町時代(永享10年(1438))
所在地:深川町 所有者:深川神社
梵鐘(ぼんしょう)とは、主に寺院で使用される釣鐘(つりがね)のことで、人を集めたり時刻を知らせたりする時に打ち鳴らす役目をします。
この梵鐘は、瀬戸市内に残る最古のもので、高さ87,3cm、重さは約80貫(300Kg)あり、青銅製です。龍頭(りゅうず)は双龍が宝珠を頂いた形をとり、乳(ちち)は四面に16個づつ計64個付いていて、撞座(つきざ)には単片八葉蓮華文が装飾されています。銘文が乳の下に彫られていて、当時の仏教的世界観を表わすとともに、人々の成仏を願ったものです。永享10年(1438)に八王子社(深川神社)に奉納されています。
(広報せと平成20年8月15日号「瀬戸の文化財第32回」より)


深川神社古墳

深川神社古墳 時代6世紀から7世紀
瀬戸川中流域で唯一残存する横穴式石室を持つ古墳である。直径9mの円墳で、石室は平面形が若千胴の張った長方形をなし、最大幅1.74m、石失入口は奥壁から手前まで4mであるが、本来はもう少し長く石室があったものと思われる。
同時期の他のほとんどの横穴式石室は奥壁に一枚岩を設置するが、深川神社古墳は奥壁・壁ともに一辺50cm以上の大型の石材を三段に積み重ねている。
発掘調査は行われていないため、出土遺物等については不明である、(文化庁遺跡分布図 No2726)

社頭掲示板



深川神社

ふかがわじんじや 愛知県瀬戸布深川町。 旧県社。祭神は天照大神の八人の御子である天忍穂耳命・天菩日命・天津彦根命・熊野樟橡毘命・活津彦根命・田霞姫命・活津毘売命・市杵島姫命を祀る。古くば八王子社とも従三位深川天神とも称された。宝亀2年(771)の創建と伝えられる古社で、『延喜式神名帳』に列した。陶都瀬戸の氏神として崇敬が篤い。例祭は10月15日に行われるほかに、摂社の陶彦神社の陶祖祭が4月第三日曜日に行われている、社宝に陶祖加藤四郎左衛門景正の作と伝える陶製狛犬は、高さ51cmで左前足を欠き、右前足も膝の部分で折れ、柄で継いであり、頂上の肉角も欠いているが、重要文化財に指定されている。摂社に加藤四郎左衛門景正を祀る陶彦神社がある。

神社辞典






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