真清田神社
ますみだじんじゃ


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【文化財】

重要文化財(国指定)
木造舞楽面 12面(彫刻) 陵王1面、納曽利(なそり)1面、還城楽(げんじょうらく)1面、崑崙八仙(ころばせ)3面、童舞2面、二ノ舞2面、貴徳1面、散手1面の12面。鎌倉時代から南北朝時代にかけての作で、承元5年(1211年)、建暦元年(1211年)等の銘を有する。熱田神宮の舞楽面とともにこの時代の優品とされる。明治37年8月29日指定
朱漆角切盤8枚、朱漆入角盤12枚、朱漆フ子5枚(附 銅鋺5口、銅皿20枚)(工芸品) 室町時代の作。角切盤(すみきりばん)・入角盤(いりすみばん)・フ子(けいし)は長禄元年(1457年)銘を有する。同年には本殿改築・遷宮が行われており、そのために新調されたものと見られる。真清田神社側ではこれらを「御膳台盤」と称する。平成元年6月12日指定
登録有形文化財(国登録)
真清田神社本殿及び渡殿 1棟(建造物) 平成18年8月3日登録
真清田神社北門及び透塀 1棟(建造物) 平成19年10月2日登録
真清田神社祭文殿 1棟(建造物)    平成19年10月2日登録
愛知県指定文化財
有形文化財  獅子頭 1面(工芸品) 室町時代の獅子頭で、文明3年(1471年)銘を有する。長さ52.5cm、幅46.1cm、高さ36.4cm。要所要所は彩色で彩られている。昭和30年5月6日指定
木造舞楽面 7面(工芸品) 納曽利3面、散手2面、崑崙八仙1面、抜頭1面の計7面で、重要文化財指定の舞楽面12面と一連のもの。納曽利1面には承元5年(1211年)銘があり、他の2面も同時期の作と見られる。散手1面にも承元5年銘があるほか、散手のもう1面は徳治3年(1308年)銘、崑崙八仙1面は延文5年(1360年)銘を有する。抜頭1面は室町時代の作。これらは破損こそあるが、鎌倉時代初頭から室町時代の仮面史において貴重なものとされる。昭和48年4月4日指定。
一宮市指定文化財[編集]
有形文化財  紙本著色真清田神社古絵図 1幅(絵画) 中世期の社頭と桃花祭の様子を描いた絵図。承応2年(1653年)の修補銘があり、それ以前に寄進されたものになる。昭和48年8月7日指定
能面 3面(彫刻) 翁1面、尉2面。南北朝時代から安土桃山時代頃の作。昭和46年6月8日指定
宗教面 3面(彫刻) 鬼面1面、女鬼面1面、鬼神面1面。室町時代の作。昭和46年6月8日指定
金銅釣燈籠 2基(工芸品) 室町時代の釣燈籠。2基のうち1基に永正15年(1518年)銘を有する。昭和43年3月2日指定
銅鈴 1口(工芸品) 鎌倉時代の銅鈴。建暦元年(1211年)銘を有する。昭和48年8月7日指定
真清探桃集 8巻6冊(書跡) 江戸時代中期、神主の佐分清圓によって記録された百科事典的書物。享保18年(1733年)の自筆本はなくなり、安永2年(1773年)に清圓の子の清興によって校正された浄書本が伝わる。昭和48年8月7日指定
真清田神社本殿出土鎮物(考古資料) 昭和7年(1932年)の本殿再建の際に採集された出土品。内訳は瑞花双鳥八稜鏡、唐花双鳥鏡、瑞花双鳳五花鏡残欠、八稜鏡残欠、金銅装太刀金具残欠(以上平安時代)、五輪泥塔(鎌倉時代)、亀甲文双鶴鏡(室町時代)。いずれも鎮壇具として埋納されたものと見られる。昭和48年8月7日指定
有形民俗文化財  神頭矢 1手 室町時代の2本の鏑矢で、矢の箆に永正7年(1510年)の墨書を有する。昭和48年8月7日指定


【桃花祭】

開催予定:4月1日〜3日
会場:真清田神社周辺
 一宮に春を告げるこのお祭りは、4月3日の真清田ますみだ神社の例大祭・桃花祭を中心に行われます。江戸時代までは旧暦3月3日の桃の節句に行われていましたが、明治になってから現在の4月3日が例祭日になりました。
 昔、木曽川の流れが神社の周囲にあったころ、そこには桃の木がたくさんあったので、参詣者はその桃の木の枝に自分の厄を託して木曽川に流したと伝えられています。その後、木曽川の流れも大きく変わったので、桃の枝を神前に供えて行うようになりました。また、例大祭を行う全員が冠や烏帽子に桃の花をつけています。
 市内では、1日の朝に献灯ちょうちんが飾られ、最終日の3日には町内からの子供獅子や献馬けんばが奉納されます。真清田神社の門前・東西には祭車(山車:だし)が飾られ、祭りの雰囲気を盛り上げています。以前は東車だけでしたが、平成13年に西車が復活しました。
 神社では、4月1日に神前で和歌を被講する短冊祭が行われ、2日には歩射ほしゃ神事が地元高校生たちの射手で行われ、その年の豊凶を占います。最終日の3日には流鏑馬やぶさめと神輿渡御みこしとぎょがあります。真清田神社の御神体をのせ公園通4丁目のお旅所(市青年の家前)まで往復する神輿渡御は、武者行列とともに本町通り商店街を練り歩きます。お旅所からの帰りには、お旅所で待っていた各町内からの献馬を従えて戻ります。なお、この馬を華やかに飾った馬道具を、今も市博物館や真清田神社の宝物館で見ることができます。

一宮市HP



【蘭奢侍】

天正2年(1574)3月28日に織田信長が東大寺に伝わる名香「蘭奢侍」を切り取ったのは有名な話であるが、その切り取った「蘭奢侍」と言われる香木が真清田神社に伝わっている。
参考HP:「真清田神社の蘭奢侍」 見聞録  http://www.kazz921.sakura.ne.jp/zatsugaku/masumida/masumida.html  


眞墨田神社 名神大

眞墨田は萬須美陀と訓べし○祭神火明命、(一宮記大己貴命と云り)○松降庄一宮村に在す○当國一宮也(一宮記)○式三、(臨時祭)名神祭二百八十五座、尾張国真墨田神社一座、
宗廣社稷問答云、眞清田神社者、一宮記爲大己貴命非也、成務天皇朝以天別天火明命十世孫小止與命の定賜尾脹國造、今所祭愛智郡知我麻神社者是也、先是尾張氏上祖等、歴世居当国、景行天皇朝日本武尊東征之日、所從師之建稻種命者、小止與命之子、而祭春日部郡内々神社、其神天香語山命者祭同郡尾張神社、凡足張氏遠祖等所祭国内者三十余座、其所出自遠祖天照國照彦火明神祭之中島郡眞清田神社、以称当國一宮、眞清田首、真神田曽禰連、眞髪部造等遠祖也、此所以非国常立尊也、云々、此等説、元禄年中平時庸、源晋甫、藤信景等、奉邦君之命撰尾張國郡志之日、点検考索都鄙及金城文庫自他秘書而所記者如斯、」集説云、神記別録之、』張州府志云、社説曰、祀国常立尊配享天照大神、月読尊、大己貴命未詳、又云、人物志補遺曰、眞清宮禰宜真神田朝臣子孫断絶、、中世関氏掌宮事、其後氏族佐分氏為祠官、○姓氏録、(大和國神別)真神田首、伊香我色乎命之後也、同、(左京神別上)真神田曾彌連、神饒速日命六世孫伊香我色乎命男氣津別命之後也、同、(山城國神別)真髪部造、神饒速日命七世孫大売布乃命之後也、
神位官社
続日本後紀、永和14年11月癸酉、奉授尾張国無位真清田天神從五位下、文徳實録、仁寿元年11月辛巳、詔以尾張國眞清田神、刻於官社、同3年5月辛亥、尾張國從五位上眞清田神、授從四位下、三代實録、貞観7年7月26日乙巳、授尾張国從四位上真清田神正四位上、國内神名帳云、正一位真清田明神、
氏人
三代實録、貞観4年3月己巳朔、右京人左大史正六位上真神田朝臣全雄賜姓大神朝臣、大三輪大田田根子命之後也、、
社領、

神社覈録






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