馬見岡綿向神社
うまみおかわたむきじんじゃ


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【由緒】

馬見岡綿向神社御由緒略記
鎮座地 滋賀県蒲生郡日野町村井705番地
御祭神 天穂日命 天夷鳥命 武三熊大人命
御鎮座 社伝によりますと、神武天皇の御宇に彦健忍穂心命が出雲国より天穂日命の神霊に供奉し、綿向山に鎮座されました。
飲明天皇6年(545)蒲生種置三麿、山部連羽咋に御託宜があって、綿向山頂に祠を建て天穂日命を奉祀しました。その後、天武天皇13年羽田公矢国の執奏により、山頂は四時の祭事に不便なため篠谷川の厩上の地に御遷座され、更に延暦15年(796)厩上の地より白雲が立ち、その中に二羽の雁が舞い上り、馬見岡に座す村井御前社〔村井置目を祀る]の社前の桜の桝にかかる奇瑞があったため、それによってその地に社殿を遷し奉ったのが現在の神社です。
由緒 御祭神の天穂日命は、天照大神の第二の御子にあらせられます。天夷鳥命、武三熊大人命は、そのまた御子にあらせられ、三神とも出雲国の開拓の御祖神であり国造の祖先です。今この神達をこの日野の地にお祀りするのは、命の後裔がこの地にも移り来て繁栄したものと推考します。欽明天皇6年、綿向山頂〔標高1110m)にお祀りして以来、江州蒲生上郡の総社として一つには大宮とも申し、当地方一帯の産土神として尊崇されてまいりました。
御神徳 広大にして御霊験顕著にましまして、自河天皇、高倉天皇を始め歴代の皇室、武将の尊信篤く、殊に南北朝の頃、大聖寺宮性芯尼公は厚く崇敬させ給い、創祠以来連綿と奉仕し来たった出雲家が五辻宮守良親王に志を通じ、南朝方にお味方したために、将軍足利義満により官司出雲家は改易させられ、三千貫の神領を召し上げられて一時衰微せんとした当神社を大聖寺宮のお力によって、宮司職を権神主であった社家(現宮司家)に嗣がしめられ、神社の興隆を図られました。またこの地方を四百余年にわたり領有していました蒲生家一族は、当神社を氏神と崇め奉り歴代守護してまいりました。
承元3年(1209)、大永2年(1522)、永禄6年(1563)、文禄4年(1595)の四度に及ぶ兵火と災火は建物や古記録を灰燼に帰せしめました。天正12年(1584)蒲生氏郷が勢州松ヶ島〔松阪市)へ転封された後も、蒲生家よりの寄進は続きました。中世までは別当三ケ寺(西明大寺、金剛定寺、正明光寺)との関係も深く、綿向山を行場とした修験道や神仏習合の姿がありましたが、江戸時代に入り、寛文3年(1663)吉田唯一宗源神道に帰し、その時点で神仏分離がなされました。豊臣氏の時に社領は全て没収されましたが、徳川氏の時代に入り、歴代将軍より社領十石を安堵する御朱印を下されるなどの庇護もあり、また近江商人の中でも活躍著しい日野商人発祥の地として、その守護神と崇敬をあつめ、出世開運、道中安全の神と信仰されました。
更に御祭神武三熊大人命のこ事蹟により、養蚕祖神として神明の御加護を戴き、かつては全国養蚕業者の崇敬をあつめました。
『わたむきの山ふく風にうまれくるこかいの糸のいとながきかな』
現在も日野町内は勿論、旧蒲生上郡の縁社として崇め親しまれています。
祭礼神事
例祭その始めを嘉応2年(1170)と伝える。5月2日・3日・4日に斎行される春の例祭は日野祭と称し、滋賀県の無形民俗文化財に指定されており、芝田楽と呼ばれる神調社に警固される三人の神稚児、三社の神輿、四基の神幣、十六基の曳山車を中心とする古式ゆかしい神幸は、絢爛豪華にして湖国の春を飾る大祭です。
嶽祭り 毎年4月20日、綿向山頂の奥の宮(大嵩神社)への登山祭礼が行われます。
このお社は古来21年目毎に、当地方産の榧の木でもって建て替えられ、氏子等が標高1110mの頂上まで部材を担ぎ上げて組建て遷座する。式年遷官が連綿と縦けられています。

由緒書



【馬見岡綿向神社本殿】

滋賀県指定有形文化財
馬見岡綿向神社本殿一棟
所有者 馬見岡綿向神社
所在地 蒲生郡日野町大字村井
指定年月日 平成10年6月19日
馬見岡綿向神社は、綿向山頂に祠を建て天穂日命を祀ったことに始まる。平安時代初期、この地を里宮として社殿を造営し、中世から近世初期にかけて蒲生氏代々の庇護を受け、江戸時代には日野出身の商人たちの崇敬を集め、社殿が整備されたと伝えられる。
現在の本殿は、宝永4年(1707)に再建されたが、大正6年(1917)に内陣を改造、昭和58年(1983)に屋根を桧皮葺から銅板葺に改めた。平面は桁行(正面)、梁間(側面)ともに三間で、周囲に切目縁を廻し、正面に浜縁をつくる。屋根は入母屋造で、正面に干鳥破風、軒唐破風造の向拝を付け、前面に向唐破風造の拝所を設ける。
この本殿は、周囲に頭貫・内法長押を同高で廻す形式であるが、内部は内陣と外陣に分け、外陣の床を一段低くし、開放的な建具とする。これは県下に遺構の多い前室付の三間社流造本殿に類似する。また建物の木割が太く、成が高いこと及び装飾的彫刻の意匠も優れていることなどが特色である。
平成11年3月
滋賀県教育委員会

社頭掲示板



馬見岡綿向神社

当社の起こりは神武天皇の御代、近江日野の東方に気高く聳える「綿向山」に出雲国開拓の祖神を迎え祀り、欽明天皇6年(545)その頂上に祠を建てたのが始りと伝える。
 その後、平安時代の初期延暦15年(796)に里宮として現在の地に遷し祀られたという。以来、延喜式神名帳にもその名が見え、蒲生上郡の総社、日野の大宮として、何時の時代も当地の産土神として人々の信仰の中心となってきた。殊に鎌倉時代から安土桃山時代にかけて、この地の領主であった蒲生氏一族は氏神として当社を尊び庇護し、更に江戸時代に全国に名をはせた近江商人の中の日野商人達の財力に支えられ、出世開運の神として崇敬が集められた。明治9年郷社、同42年県社に列せられ、そして今の世も氏子人等の心の拠り処と崇め親しまれている。
 その始めを嘉応2年(1170)とする春季例大祭(5月2〜4日)は日野祭と称し、3人の神稚児や3社の神輿、16基の曳山車を中心に、古式ゆかしく絢爛豪華に繰り広げられる祭礼は県下にも有名で、県の無形民俗文化財に指定されている。
 なお、綿向山山頂(標高1110m)に祀る奥之宮(大嵩神社)は古来より 20年毎に社殿を建て替える式年遷宮の祭事が、今も絶えることなく続けられている。

公式HP2



馬見岡神社 二座

馬見岡は宇麻美乃袁加と訓べしO祭神天穂日命、天夷鳥命、相殿武熊大人、(或説)〇日野荘村井村に在す
閑田耕筆に、日野大宮といへるに、紀貫之主の梁簡銘あり、云々、大嵩社者、天穂日命神世之古趾也、於是欽明天皇御宇6年、観瑞以創祠於錦嶽、云々、天慶8年乙巳8月2日、従四位下行木工頭紀朝臣貫之謹誌、神主正六位上出雲宿禰貞主云々、右銘中に錦嶽といふは、錦面山とも、綿向が嶽とも云也、云々、或は奇日峯、朝日山とも云、又大嵩とも称るは、彦神山を小嵩と云ふに対るとそ、祭神三座、天穗日命、天夷鳥命、二座は式内小社に入る、武熊大人命一座は式外也、云々、今の社地を馬見が岳といふは、牧の馬を検する処なりし故なり、
社領
高十石、関東御代々御朱印を賜ふ、

神社覈録



縣社 馬見岡綿向神社

祭神 天穂日命 武三熊大人命 天夷鳥命
社記を按ずるに、本社の創建は其の由来する所極めて古く、神武天皇の朝に、彦健忍雄心命、出雲国より天穂日命を奉遷して、綿向ケ嶽(一に大嵩と云ふ)に齋き祀れるに権與すといふ、後人皇三十代欽明天皇即位の6年、蒲生の稲置三麻呂、山部連羽咋の両人に神託ありければ、一の丘上をトして社殿を建立す、尋いで天武天皇の白鳳13年建忍雄心命の裔、出雲臣狗、大辮官羽田真人によりて奏請し、篠谷川の上流馬見丘なる夷鳥命の境内に遷し合せ祀る、廷喜式に馬見岡神社二座とあるは、即ち之れを云へるなり、古来大嵩社また綿向明神と称して、世の尊敬も厚かりければ、廷喜の制に式内小社に列せられ、廷長6年には更に位記を進めて五位に叙せらる、一説に曰く、綿面山と称せしを高倉天皇御祈願のことありて、安元元年3月16日、勅額を賜ひし折、神主出雲の宿禰貞吉綿向山と誤り奏せし為め、斯く称するに至りしなりと、此の時勅額のみならず錦幌等の奉納もありしが、土御門天皇の承元3年正月23日、回禄の雛に遭ひて悉く焼失せり、古は社運盛んにして社領三千貫を有せしが、南北朝の頃神主出雲宿禰貞尚南朝に與せしかば、後光厳天皇の応安年中、将軍足利義満より、社領並に家格を奪はれ、之れより社殿も荒廃のまゝとなり、後奈艮天皇の天文18年領主蒲生下野守定秀これを痛みて社殿を造営し、合せて社領百石を寄進せり、然れども程なく蒲生氏亡ぽされ、社頭再び衰頽に赴きしを、徳川家康又之れを興し、社領十石を寄せ、以て明治に及べり、同7年に至り、社壇を上納して逸滅禄を下賜せられ、同9年郷社に列し。40年11月更に縣社に昇格せり、現今の氏子は九ケ村に過ぎされど、往時は頗る盛んにして、後奈良帝の頃迄は百二十八郷の鎮守たりしと云ふ、宝物の多くは承元年中の炎によりて亡ひしが、今に尚存するもの、紀貫之の梁簡銘以下数種あり、貫之の梁簡銘は閑田耕筆巻一に見えたり、次に紀す、
【天慶八年梁簡銘
大嵩社者、天穂日命神世之古跡也、於是欽明天皇御宇六年、観瑞以創祠於綿嶽、其後天武天皇白鳳甲申、仰徳更作畦於篠谷、而尊儀竟備矣、雖(以下略)
天慶八年乙巳八月二日
従四位下行木工頭紀朝臣貫之護誌神主正六位上出雲宿禰貞主
工匠 無位 鞍部稻星】
社地村井は日野川の上流鈴鹿山渓の地に位し、幽閑清浄の好社地なり、境内4089坪(官有地第一種)を有し、鳥居の奥には本殿、拝殿、神樂殿、など回廊もて連繋せられ其他神輿庫、神馬含、水嗽含、社務所など各所に散在せり。

明治神社誌料






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