横野神社[巽神社に合祀]
よこのじんじゃ


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【比定】

「河内國澁川郡大池村に印色宮とて往古より、三百歩余の宮地ありたるを、其後荒廃し宮地減少して守するものとてなし。此項並河五郎市殿(誠所)公議の御ゆるしを受け、享保14酉8月畿内の旧地の隠れたるを調べし時、この印地の宮を御改めになり、延喜式内社の横野神社の旧地として、印色入日子命を祀りたる社なりとし、庄屋松久善左衛門に此旨被仰渡、村民に語りければ、村老のいふ寛文・延宝の頃まで御社ありたるも廃絶を歎き、同村八幡宮の社地に移し、今末社の如き小社此れなりと。『横野神社由來記』
江戸中期の国学者・地理学者の並河誠所が印色宮を横野神社に比定した。


【廃退】

なぜ延喜の古社が徳川期まで廃退して記録に残らなかつたのかを考へてみると、古平野川の河道の変化と、堤塘の廃絶が、神社の存在価値を失はしめ、里民から忘れられて、ただ字名にのみ残されたものと推測できる。『式内社調査報告』





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